2018年01月25日

白南風ドロップス 3

  白南風ドロップス  三
大塚慎太郎


三、雨燕の谷渡り
 松川織江と別れ湯ノ宮陽鞠、藤崎美乃は寮へと向かった。雨脚は少々弱まっていたが、依然として騒がしいほどの降り方だった。大きな雨粒が美乃の左肩に落ちる。二人は肩を寄せ合い、雨の中を足早に過ぎた。
 寮の表玄関まで無事辿り着き、美乃は傘を畳んだ。傘と肩、スカートの水気を払い、硝子戸を引き開く。美乃が小さく呟いた。
「小百合ちゃん?」
 ホールの暗がりの中、ベンチに腰を下ろしている影があった。どうやら遠藤小百合らしい。制服ではないスカートの上に、タオルと白い手を載せている。
 小百合は暗い顔を上げた。タオルを握りしめ、動く様子はない。これは尋常でないと二人は覚った。
「何してるの、こんな時間に」
 美乃が小百合に尋ねた。通常ならば今は、皆部屋に引っ込み、夕食はまだかと待ち構えているはずの時刻だ。小百合は美乃を見上げ、陽鞠にも目を移し、口を開いた。
「玉井が帰ってこないんです」
 彼女が言うに、玉井真智子は放課後、試験勉強のため図書館に残っていたという。夕方五時十五分ごろに寮に戻ってくると、そこに真智子はいなかった。
「授業が終わってすぐ、玉井の教室に行ったんです。図書室に残るって。その時には、掃除したらすぐ帰るって言ってたんです」
 初めのうちは、小百合もあまり深刻に考えていなかった。真智子のことだから、掃除の後に用事でもできて街に出かけたか、はたまた勉強する気になって教室にでも残っているのか。そのくらいにしか考えていなかった。
「どうせ濡れて帰ってくるだろうからと、タオル持ってここで待ってたんですけど、一人でいたら段々不安になってきちゃって」
 恥ずかしそうに少々微笑んだ小百合は、再び険しい表情を浮かべ、六時になっても帰らなかったら捜しに行くと言った。黙って聞いていた陽鞠の横で、頻繁に相槌を打っていた美乃が、記憶を遡った。
「うちのクラスの演劇部の子がなんか忙しくしてたから、それが関係してるかも」
 陽鞠は美乃を横目で見た。
「ぼんやりした情報ね」
「じゃあひまちゃんはこれ以上知ってるの?」
「知らなーい」
「私と一緒じゃん。ううん、私以下だよ!」
 美乃は不満そうな声を上げる。小百合は二人の様子を見ながら、僅かに目を細めた。タオルを持ち、立ち上がる。目の前に立つ先輩二人をまっすぐに見つめた。
「先輩方、一緒に捜してくれます?」
 イエス以外の答えを受け付けないといった小百合の物言いに、二人は揃って首を縦に振った。小百合はスマートフォンを取り出して時刻を確認した。六時十分前である。
 急に勢いよく硝子戸が開いた。
「もー、ひっどい雨!」
 濡れ鼠が顔を出す。あまり機能しなかったらしい長傘を振り、雨雫を落とす。驚いている三人など目に入らない様子で、勢いもそのままに制服のスカートを摘んでこれもまた激しくばさばさと振った。
「真智子!」
「は? 小百合ちゃん?」
 前髪を額にはりつかせた真智子は、いきなりの呼びかけに目を白黒させた。小百合はその顔にタオルを擦りつける。真智子は小百合の手を押しのけた。
「顔は濡れてないよ!」
 それから、自分の周りに立つ三人を見渡す。首を傾げる。受け取ったタオルで髪を拭きながら尋ねた。
「何の集まり?」
「真智子ちゃんの帰りが遅いから、心配してたんだよ」
 美乃の答えに真智子は「へえ」と言った。頭を下げて謝罪を述べる。小百合は真智子の顔を上げさせ、今まで何をしていたのかを聞いた。
「えっとね、まず部長がね、朝演劇部の部室の鍵を借りて、お昼に部室に行くつもりだったらしいんだけど、三時間目の先生に呼び出されて、同じクラスの先輩に鍵を渡して、それからその先輩が五時間目体育で行く時間なくて、放課後その先輩は早く帰りたくて、二年の先輩に頼んできたの。なんだけど、その後すぐに先輩が先生に呼び出されて、通りすがりの一年、私に頼んだの。だけど、小百合ちゃんも知ってるとおり、私は今日教室の掃除当番だったから、掃除してから部室に行ったのね。で、部室の前でいざ鍵を取り出そうとしたら、無かったの!」
 真智子は湿ったタオルを振り回し、身振り手振りを交えた長ったらしい説明をして、ぱっと手を広げた。小百合は難しい顔をしている。真智子は一度つばを飲み込み、続けた。
「まだ続きがあるのよ。今って部活動禁止でしょ。なのに守衛さんに頼み込んで鍵を貸してもらったの。それを無くしたってバレたら、禁止なのに活動したってのと、鍵を無くしたってのとで、先生からの御怒りが尋常じゃない。大目玉。部長解雇ものだね。だから、その時点で学校に残ってた演劇部員たちで、鍵を捜してたの。で、最終下校の時間になったから、学校側には守衛さんから連絡してもらって、今日のところは解散して、帰ってきた」
 小百合は頭の後ろを掻いた。陽鞠と美乃は黙っている。
「要約すると?」
「鍵を紛失したので捜してましたー」
 真智子の呑気な答えに小百合は声を荒げる。
「連絡ぐらい寄こしなさいよ! 携帯持ってるでしょ?」
「そんなぁ。じゃあ小百合ちゃんが電話してくれればよかったじゃん」
「ああ……」
 そこまで考えの至らなかった小百合は、情けない声を漏らした。その場には不自然な沈黙だけが残る。
「さー、じゃあ、部屋に戻ってみんな着替えて、ご飯にしよー」
 美乃が場の空気を換えようと、明るく言った。三人は素直に返事をして、靴箱のある方へ歩き始める。上靴に履き替えたのち、美乃と真智子は傘立てに傘を差し込んだ。二階の陽鞠と美乃、三階の真智子と小百合は二手に別れ、自室に向かう。廊下の途中、陽鞠と美乃は食堂へ向かう人の波に少々揉まれた。
 カチャンといつもの如く安っぽい音が響いて、部屋の鍵が開く。美乃は上靴を脱ぎ、ひょいと板間に上がる。内壁に立てかけてあった折り畳みの傘と下敷きのタオルを憎々しげに見下ろしてから拾い上げた陽鞠は、それに一歩遅れて上がり、二人分の靴を靴箱にしまった。傘は乾いていたが、タオルは少々濡れている。
「ひまちゃん、すぐ行ける?」
 美乃は自分の荷物を片付けながら陽鞠に尋ねた。陽鞠は傘を綺麗に畳もうと四苦八苦している。傘から目を離さずに言う。
「着替えたい」
「うん、それは私も」
 美乃はまた、一足先に制服を脱ぎだした。ハンガーを取り出し、ベストとスカートを吊るす。湿って滑りの悪いシャツも脱ぎ、これは洗濯カゴに放り込んだ。陽鞠もそれに倣い、ハンガーを並べた。
「冷えるねぇ」
 美乃は部屋着の上に薄手のパーカーを重ねた。紫陽花のような淡い色合いのものである。陽鞠が低く言い放った。
「ババア」
「何だと!」
 当然のことながら、美乃が噛み付く。
「ひまちゃん、ちょっと口が過ぎるんじゃないかなぁ」
「そーんなことないんじゃないかなー」
 陽鞠の暖簾に腕押しといった態度に、美乃は両腕を振り上げた。
「あーっもう、ひまちゃんに勉強教えてあげようかなーって思ってたのに、やる気無くしたぁっ」
「はぁーっはっはっはっ。そんな脅しが私に効くとでも思ったかあ!」
「えー、効かないの?」
「効かないわねぇーっふしゅっ!」
 陽鞠が急に小さな両手で口と鼻を押さえた。美乃は途端に口元をにやにやさせだす。
「えー、何今の。くしゃみ? 陽鞠ちゃん、くしゃみしたの?」
「違うわよ!」
「『ぇーっふしゅっ!』だって、かぁわいーい」
 陽鞠よりは少々大きな手を口元に当て、彼女の真似をする。
「あんたも大概口が過ぎるわ」
 陽鞠がそう言ったとき、部屋の薄いドアが三回ノックされた。二人がドアに張り付く。代表して陽鞠がノブに手をかけた。
「お二人さーん。ヒートアップするのもいいけど、そろそろご飯の時間じゃなーい?」
 廊下に立っていたのは、隣室の長町真帆と土屋葵だった。薄い壁を通して、二人の騒ぎは隣の部屋にまで聞こえていたようだ。二人は素直に返事して、部屋を出る。他の生徒たちはもうすでに下に行っているらしく、廊下はひっそりとしていた。
 一行は足音をパタパタと立てながら階段を降りる。やはり食堂にはすでに相当の数の女子が集合していた。大体が配膳を終え、席に着いている。四人もカウンターに並び食事一式をもらった。この日のメニューは、大根と鶏肉の味噌煮込みと冷奴、葉物野菜のおひたしであった。
 高辻夏央が前に出てくる。食堂内の全員が着席したのをぐるり見て確認し、話し出した。献立のおさらいと小話を済ませると、掌を合わせいただきますと言った。一同それに続き、食事が始まる。
 さほど力を入れる必要もなく二つに割れた大根を、箸で摘まんで口に入れる。じんわりと口内に広がる味噌の香りに、美乃は顔を綻ばせた。
「今日は雨が強いね」
 窓際に座る葵が、外を眺めながら言った。真帆が「そうですね」と続く。
「私、小さい折り畳み傘使ったら、すごく濡れちゃいました」
「馬鹿ね、天気予報見なかったの?」
「え、強くなるって予報だったんですか?」
「そー! そういう細かいところに気が回らないと、ダメよ」
 陽鞠は自分の失敗は棚に上げ、高らかに述べた。その横で美乃が、陽鞠の皿から鶏肉や大根を真帆のところへ移した。
「あにすんのよ!」
 当然陽鞠はそれを咎める。美乃はついと視線を左に向け、こう言った。
「豪語賃?」
「ええ、ええ、殊勝なこって」
 これにて場は治った。何が何やら分からぬ様子の真帆は向かいに座る二人を交互に見つめ、貰った鶏肉を頬張る。漠と事を察した葵はのほほんとした笑みを浮かべていた。

 翌日の昼休み、演劇部の部長である仲井戸佑花と副部長の進藤舞子は、職員室に呼び出された。一連の事には何も関わっておらず、知らされたのも教室から職員室までの道中、佑花からという舞子は、不服そうな顔をしていた。
「いや、副部だからさ、呼ばれるのも分かるよ。でもさ、和美でもいいんじゃない? 同じ三年だし、当事者なんだから。場合によっては犯人かもだし」
 普段からものをはっきり言う性格であったが、今日は苛立ちからか更に棘のある言い方をしている。
「うん、ごめんって。だからその犯人ってのやめようよ。まだ盗まれたって決まったわけじゃないし」
「じゃあいつ決めるのよ」
「いやそれは、その、容疑が確定したときっていうの?」
「えーへー、さいですか。大体あんた、何で鍵持ち出したりなんかしたのよ。部室に用事なんかないでしょ」
「あーうん、いやぁ、それは、ねー」
 どうにもはっきりしない佑花の様子は、舞子の苛立ちを一層募らせる。舞子の目から逃れたいらしく、佑花の視線は空中を彷徨った。
「はいはい、そこまで。職員室で喧嘩しないの」
 教師が二人出てきて、一方が二人を諌めた。演劇部顧問の蛯原と斎藤である。教師の指示により、四人は近くの空き教室に移動した。昼休みにも関わらず、教室前後の扉を閉めると室内はしんと静まり返った。四つ机を集め、生徒と教師が向かい合う形で座る。
「鍵を借りてから失くすまで、もう一度ちゃんと説明してくれる?」
「はい。まず私が昨日の朝、守衛さんに頼み込んで、鍵を借りました」
 それから佑花が話した内容は、昨夜真智子が小百合たちに話したこととそう変わりなかった。
「あなたに三宅さん、秋山さんに玉井さん。結構たくさんの人の手に渡っているのね。」
「あの巾着に入れてたんだろ。巾着ごと失くしたのか?」
 巾着とは、部室以外の鍵や過去の作品に関連するデータの入ったUSBなど、重要なものをまとめて入れていた物である。
「いいえ、巾着は私が持ってます。部室の鍵以外は無事です」
 舞子が小さな巾着をポケットから取り出した。経年による汚れが目立っている。厚手の生地でできているので、口の辺りは少々擦り切れているがまだまだ使えそうである。佑花は巾着の中身を改めた。やはり部室の鍵だけがない。
「どこかで中身をぶちまけたりは?」
 舞子が口を挟んだ。佑花は首を横に振る。
「少なくとも、私と静ちゃん、真智子ちゃんはない。私はもちろん自分のことだから知ってるし、静ちゃん、真智子ちゃんは、昨日一緒に鍵を探したの。その時に聞いてそういうことはないって言われた。和美にも鍵を失くしたって言ったときに特に言ってなかったから、ないでしょ」
「ふーん、まあ誰も嘘吐いてなかったらだけどね」
 佑花の説明に対し、舞子はまた捻くれた返答をした。佑花は、恨めしそうに彼女を見やる。すかさず蛯原が諌めに入った。
「こらこら、教室でも喧嘩しないの」
 その後斎藤が口を開く。
「失くす場面が思い当たらないなら、盗まれた可能性は?」
「それもあんまり考えられません。ほら、この鍵とか、衣装棚とか物品棚の鍵は無事なんです。金庫のも会計の新橋さんが持ってるはずだし。だから、部室の鍵一個を盗んだところで何もないんです。ただ部室に入れるってだけで。まあ作りかけの小道具、大道具が盗まれたり壊されたりはするかもですけど」
 そうであった場合には決して捨て置くことはできんという面持ちで、舞子は手をきつく握りしめた。
 このとき斎藤は、部室内の隠し撮りの可能性を考えていた。しかしこの学校に男子生徒はいないし、教師の場合は、生徒の荷物に迂闊に近づくのは危険で、尚且つ目撃者がいた場合に必ず怪しまれるであろう。
 教師陣は少々二人で話し合った後、生徒に向き直りこう言った。
「じゃあ放課後、今度は三宅さん、秋山さん、玉井さんも連れてここに来てくれる? もう少しそれぞれから話が聞きたいわ」
 生徒二人が頷いたそのときに、予鈴が昼休みの終了を告げた。佑花、舞子は昼食を食べ損ねたことに対して深く溜息を吐いた。

 教室までの道を歩きながら、舞子は不服を述べた。
「まったく、貴重な昼休みを奪って、その上放課後まで奪う気なのね。あたしがテストで赤点取ったらどう責任取るつもりよ」
 佑花は舞子の問いには答えず、こう尋ねた。
「舞ちゃん、得意科目なんだっけ?」
「技術でーす!」
 舞子は可愛らしくぺろりと舌を出し、ウィンクする。
「まーじゃあ、分からないとこあったらラインしてよ。教えたげる」
「はーっ、これだから特進は。じゃ、昼休みに」
「うん、バイバーイ」
 三組の教室前で佑花と舞子は別れた。佑花はそのまま一組教室まで、廊下を歩いていく。
 教室で、五時間目の準備をしながら携帯を出した。静と真智子に、放課後呼び出しの連絡を入れる。そのまま携帯を弄っていると、近づいてきた和美が、呑気な声で尋ねた。
「おかえりー。先生何だって?」
 佑花は事をざっくりと和美に伝え、放課後の予定を聞いた。
「うん、大丈夫。私、今日掃除だから、ちょっと遅れるけど」
「ああ、じゃあ先に行ってるね」
「よろしく」
 和美は自席に戻った。その頃真智子は、一年一組教室で佑花からの連絡を受け取っていた。今度は、三組から昼食を食べにこちらに来ていた小百合に、その旨をしっかりと伝える。頷いた小百合は立ち上がると、近くから借りていた椅子を定位置に戻した。弁当箱と水筒を掴んで片手を挙げる。
「りょーかい。じゃ」
「うん、ばいばーい」
 教室を出て行く小百合にひらひらと手を振る。真智子はその後、机の中から教材をぱたぱたと取り出した。最後にノートを引き出した時、小さな紙袋がカサと音を立てて滑り落ちた。真智子の膝の上に落ちたそれを、彼女はじっとりと眺めている。だがそれもすぐに止め、鞄に戻した。真智子の斜め後ろに座る愛は、その一部始終をぼんやりと見つめていた。
続く

posted by 新月 朔 at 15:16| Comment(0) | 白南風ドロップス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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