2018年01月25日

神さまのいる世界 其の二 信仰なき者(前編)

  神さまのいる世界
     其の二 信仰なき者(前編)
                         有音 紫苑   

 山向こうの村からの使者の来訪の知らせを耳にしたのは、寒い風が吹き下ろし村を白く染め上げていた冬がようやく融けて、春告げの花があちらこちらで咲き狂い始めていた、そんな頃のことだった。
 山向こうの村では、近年一帯で続く旱魃の兆候への苦しみから、この村と同じ系統の信仰が広がりつつあるという。実りをもたらす鳥を表象として、神官を立ててこれを祀り、祈りを捧げる。聞いたようなテンプレートの簡潔な信仰だけれど、それでも縋りたくなる気持ちは分からなくもない。私と同じ、少女の形をした神の写し鏡は、未だ立てられてはいないようだけれど。形があって共に祈るものがあると、それだけで拠り所として機能を果たすのだろう。
 今回の使者は、私たちの村における信仰――神殿と、夏に控える奉納祭という名の式典と、それから私。それらの見識を深めるという目的を謳う、いわば大使とでもいうような。これを機に親交を深めましょう、ということだ。向こうの村が資源に乏しくなって、私たちの村の支援を望んでいることは私だってわかっている。
「それで、彼の方々はいつこちらに顔見せするというの? 他の村の者が訪れるとなると、村を挙げて一層信仰を奉る様を見せなくてはいけなくなる。そんなに悠長にはしてられないと思うが」
「次の朔の日――夕方頃に数名からなる使者の一団が着くと。本殿の一室に通して、翌日に山都様にお目通りする手筈となっています」
 平坦で空虚だった乾いた冬を超えて、それでもミナモは多少私付きの神官の仕事に手慣れたらしく。読み上げられた書状を受け取りながら、私は少し眉をひそめる。鳥の仮面はもちろん被ったまま、部屋に充満する香の薫りが今日は強く感じる。
「……面倒だ、」
 どうしても徒労感から息を零してしまう。普段たくさんの村の者たちに対して被って見せている仮面を、更にもう一重被って。信仰に信仰を重ねて、私はどんどん神格化されていくから。新しい信仰を広める必要なんてないと思う。村の飢饉だって、つまるところは気候の変調からくる不作だ。神に祈ることで豊作が約束されるのなら、この村だってとっくに寒い冬に喘ぐことは無くなっていただろうし――それに、そう簡単に神が応えるというのなら、私という存在を立てておく必要性は直ちになくなるわけで。
 それでも夏の奉納祭は好きだった。普段着ない衣装と、普段見られないこの村のお祭り騒ぎ。参加することができなくとも、その活気だけはこの隔離された別殿まで伝わってくる。心が浮き立つような、慣れない感覚。薫香漂うこの部屋でただ一人、硝子越しの空を見ていても、なぜだか脳髄が凍るあの感覚が訪れない、不思議な日。
「山都様?」
「…………何でもない。それより、向こうの村からの来訪者について詳細は聞いたのか」
「詳しくは…………ただ、向こうの村の長の子のうち、三番目の者が長の代理として随伴する、と」
 ふうん、と思う。年長の息子以外は大した責も持ちえない狭き村で、他の子を何かしらの立役者にすることは常套手段だ。この村では年々子供の生まれる数が減っているから、そんなことはないようだけれど。向こうの村では出生率が上昇していく一方で、とどこかで耳にした気がする。子が増えるから食物も足りなくなるのだ。いっそ減らしてしまえばいいのに、なんて世迷言を呟く。
 子どもなんてもの、いつだって大人の操り道具で、玩具で、中途半端に意思と自由決定権を与えられてしまっただけの、誰かの何かでしかないのだから。
 映し鏡だなんて、良く言ったものだと思う――所詮一個の人格を確立するためには、自身の持つ鏡に映った誰かの切れ端をうまく繋ぎ合わせることでしか成立しえないのだし。それはまるで、人々の願う信仰の欠片を寄せ集めてできた、私という襤褸布みたいな。
「……報告御苦労。もう今日は下がっていい。ああ、香だけ新しく取り換えて行け」
 私はいつもと同じ白の装束の袖を振って、ミナモに退去を命じてやる。神官というのはまた面倒なもので、こちらが意図しないことは出来ないようになっているのだ。それは勿論形式上のことであるけれど――だからこうして口に出してやる。もう仕事は終わり、神官としての役割は終わり、と。
 ミナモはちょっと複雑そうな、でも同じだけ嬉しそうな表情で、細くなった香の芯を持ち新しいものと取り換え、火をつける。橙色の煌々とした輝きが一瞬の静寂の後にまた部屋を満たして、私は静かに息を吐く。
「山都様、やっぱり香は少し苦手ですか?」
「……相変わらずその言葉遣いか。最初はもっと威勢が良かっただろう?」
「う、でもですね、普段はそんな感じで接することなんてできませんし、自然と違和感が出てきちゃって」
「好きにすればいいけれど――香が苦手か、と聞いたな。それはどうしてだ?」
 単純に疑問だった。神殿の意向で、私の部屋はいつも香で満たされている。常に同じ香りではなく、今のような春の訪れの季節には淡く、それでいて少し胃がもたれるような甘い花の薫りを。冬の香は、籠ったようにけぶる椿と雪を懸想させる香だった。どれも本殿で調合され、日々この別殿に届けられるものたち。
 苦手か、と聞かれても頷くことは出来ない――だって私は、この外の世界、何とも混じりけのない空気を知らない。硝子越しの偽りの空から見える、飛ぶ鳥が吸う空気の青さを知らない。
「うんん……はっきりと、そう言えるわけではないんですけど。でも香の薫りは、貴方を無理にそのように作り上げている感じがして、僕は好きになれない。貴方のその鳥の意匠と、白の装束と、それから角と――それで、貴方を着飾る信仰は十分すぎるように思いますから。薫りで囲い込まなくとも、完成しきっている位に」
 まあそれでも仕事ですから、過ぎたことですけれどね、とミナモは苦笑する。私は返す言葉を持たなくて、けれどミナモが言ったこととは少し違う何かを感じていた.
 私を囲い、この狭い世界――あるいは信仰の渦に閉じ込める、薫香留まる場所。頭が麻痺してしまうくらいくらくらして、それでも私の脳髄の奥をノックするような。少しの柑橘の薫りと、掻き消す位の甘い――
「……他に何か話すことは無いのか? そうだ、菫は最近どうしている?」
 軽く頭を振って、私はその思考を打ち消した。まとまらないし、詮無きことだ。それよりも幾分親しみのある話題に話を移したくて、私は先週も問いかけたようなことをまた口にする。仕事が終われば、まるで友人のように振る舞ってもよいと。そう冬の終わりに言ったのは私の方で、偉そうな口ぶりに反してきっと私の心は言葉を交わすことのできる何かを求めて、いる。私を知ってしまいながら、なおも信仰の鏡を捨てないミナモを。
「菫? 相変わらず元気ですよ。今は式典で使う神官用の衣装の縫い付けで忙しくしていて、僕の衣装は特に張り切って余計な模様を付けたりなんてして――」
 りん、りん。
 ミナモの言葉をさえぎるようにして、私の部屋に鈴が鳴った。来訪者の合図。今はミナモがいるのに、こんなこと今までに無かった。自然と私の顔が強張って、仮面を被っているから表情なんて見えないはずなのに、ミナモも私に釣られたように表情を張り詰めさせる。体は自然に動いて、部屋の中央に据えられた私の座す高床に腰を下ろした。
 まもなく入ってきたのは数度の見覚えのある神官で、確か本殿で外交回りの使いをやっていたものだ。彼は私に深く一礼し、それから側に控えるミナモにも目線をやって、それから私に再び向き直る。
「突然のご無礼、誠に申し訳ございません。大神官様に急を要してお伝えしなければならない件の為、参上いたしました」
「良い――それで、一体何用か。神殿に変でも生じたか」
「それが……朔の日に到着するはずの向こう村の使者の一団が、随分と前倒しでつい先ほどこの村に到着しました。只今神殿は迎えの準備に追われております。つきましては大神官様にもいち早くの知らせを、とのことで参りました」
 早すぎる――と思う。次の朔まではまだ正味五日ほどあったはずだ。向こう村には前触れを出すほどの礼も無いのか、或いはそれほどまでに急がねばならなかった何かが有ったのか――いずれにせよ、この分では私への目通りも明日になるともしれない。だから用意しておけと、そういうことだろう。心の準備は、なるほどこの調子では必要となるかもしれない。所詮は村の神官と同じと期待しては外れて大きな空振りをする羽目にもなりかねないだろうから。
「委細聞き届けた――水面、お前は神殿の手伝いに回れ。退出を許す」
「……かしこまりました。また日没頃にお伺いいたします。失礼を」
 ミナモは何か言いたげだったが、踵を返して神官と共に一礼し元の廊下を帰っていった。誰もいなくなった一人の部屋で、私はまた、そっと息を吐く。俄かに慌ただしくなりそうな予感が少しだけ心を重くしていた。
 しばらくの間、瞳を閉じて時を過ごしていた。漂う香の――その停滞した流れが少し乱れた気がして、私は既視感と共にそっと目を開く。扉の向こうに、足音。鈴は鳴っていない。ミナモが初めて訪れた時と、同じ感覚――それを今回は事前に掴み取って、私は思わず自分の瞳を覆い隠す鳥の仮面に手を触れた。そこにある、神の映し鏡の証。何の綻びも無い私。信仰の形象、その信仰を伝えるもの。それが私。 
 長い数瞬の後に、無遠慮な音をして開いた扉の向こう側には見たことも無い居住まいの青年が立っていた。短い赤茶の跳ねた髪、知らない意匠の衣、革の靴、それに私を真っ直ぐ貫く、金色と赤が入り混じる不思議な色の瞳。気の強そうな、強さと怖さを感じる色だ。
 青年は部屋の左から右へと視線を移して、それからまた正面に戻り、私を凝視する。値踏みをするような目線に、私は内心で怯む。背けてはならない――けれどどうして、こんなに居た堪れなく感じるのだろう。視線には慣れているはずだった。信仰の瞳に、晒され続けて晒され続けて――もう飽いてしまった私だというのに。
 まるで燃やされるような、新鮮な感覚。
「お前がこの村の大神官、神と崇められるモノか――――は、大層なことを宣うから、どれほどのものかと拝みに来てみれば、」
 投げやりで蓮っ葉な口調で、青年は自嘲するように哂う。怒りの感情を私の中に見出すことは出来なかった――ただ、戸惑いだけが胸を占める。お前の視線の、金と赤に煌めく瞳の、何を私は知らない? それだけがわからなくて、言葉を返すことは無く。

「ただの一人の、人間の、餓鬼じゃねえか――馬鹿馬鹿しい」

 それが私を見つけたもう一人の人間、焔、その人との出会いであり――私の鳥籠に投げ込まれたもう一つの小石であることを、多分私は、とっくに気が付いていたのだと。
 春風が運んだ変化に、確かに私は震えていたのだった。

〈続く〉

posted by 新月 朔 at 15:14| Comment(0) | 神さまのいる世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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