2017年03月30日

輝けるプロメテウス 第二話


輝けるプロメテウス
アンダマン


       第二話:雷霆、墜ちて炎となりぬ

 ――第四の星が墜ちた。在るべき軌道の通りに。

 拝聴する/傾聴する/謹聴する――至高のことばを/原初のことばを=地に伏して聴く。

 ――第三の星は蝕にある。連星は巡るだろう。そしてまた墜ちるだろう。在るべき軌道の通りに。

 暗闇に伏して上天に輝けるものを見上げる/絶対なるR(かがや)き・己はただ見上げるのみ/しかし悲しみはなく/苦しみもなく/ただ問いがある=問うべきと理解する。

「――それは、定めなのでありましょうか」

 己の声のみが空間を震わせる――そのこと自体に対する例えようもない羞恥と慙愧/力なき身にあることのもどかしさ/それすらも許容し抱擁する至尊のことばたち。導き手の力。

 ――運命(さだめ)など存在しない。演算と思惟の彼方にこそ地平は見出されるものだ。星の軌道は既定だろう。星の寿命は確定だろう。それすなわち人の行く末もだ。

「導き出された解である、と?」

 ――そうだ。炎のもたらすものだ。我々の炎の。

 力あるものが笑う=恒星のごとき微笑み/力であり法であり支配であるもの。己の唯一の愛であるもの。

「――理解いたしました」

 深く頷く=電子の雲に沈むがごとく。
 問いを投げた/そして答えが返った/ひとつの真実――死せる者の意味=第四位について。
 ならば己のなすべきこととは何か――結論は既定であった。

 ――励め。世界を焼く己を理解せよ。

 言祝ぎがあった/叱咤があった――それゆえに応えた。

「必ずや――この第一の、原始(Atomos)の座にかけて。至高の炎よ」



 その都市にはすべてが詰まっていると、人は言う。
 曰く、人類の叡智があると。曰く、革新の意思があると。曰く、繁栄の未来があると。
 曰く、曰く、曰く、曰く。
 曰く――その都市にはすべてがあると。
 なるほど、この都市にはすべてがある。
 人類が科学の御手でもって物理法則の頸木を打ち破り、宇宙の深淵に潜む力を我が物としてより一世紀。科学という力に依って立つ人類は我が世の春を謳歌しており、その頂点たる科学の殿堂は天高くその勲を掲げる。
 学園都市ミリオポリス。壱百万都市そのものを巨大な実験場として用い、人類史に冠たる科学者たちが研究に励む現代の都市国家。
 人類の進歩と調和の頂(いただき)。誰もが焦がれて止まぬ栄光の街。
 学園都市にはすべてがある。確かにそれに間違いはない。
 だがしかし、いと古き歴史にある通り――すべてを掴もうとするものは、やがて神の怒りに触れるのである。



『――此方に騒乱の種は尽きまじ、誠に度し難きもの也(なり)』
 言葉は朗々と。吹き荒ぶ風の中、灰と鋼の二色に彩られた超高層ビルが突き立つ谷間を、風鳴りとビルの軋みの協奏などまるで意に介さぬ強さを保って、張りのある声が流れていく。
『我ら其を憂えるものなれど、抱きし業深くして、微睡(まどろみ)より醒めるも能わず。此れもまた度し難し。偏(ひとえ)に驕慢(きょうまん)久しかり』
 言葉は嘆きにも似て、しかし響きは紛れもなく陽性のそれ。言葉にて貶し、貶め、しかし大事なのだと誇るような、紛れもない肯定の表明。
『故に問おう。汝、――何故(なにゆえ)に破壊を望むか』
 問いに対し、答えが返る。
「下らん」
 言葉は簡潔に。轟音にも例えうる風音の重なりを切り裂いて、高度七〇〇メートルの空間に無機質な声が落ちていく。
「復讐に理由など無用。既に喪われたものに故などありはしない」
『では問おう。汝、――如何様なる破壊を望むか』
 問いは声として響き、答えもまた声で返る。
「殺す」
 刃のように冷徹な声が、風に連なって宣告する。
「科学魔人をすべて殺す。それだけが望みだ」
『では』
「貴様も殺す」
 結論はこれ以上ないほどに端的。しかし殺意は千の刃の如く、重さと鋭さに満ち満ちている。
「殺す。当然貴様も殺す、貴様以外も殺す。あの男に辿り着くその道筋に、一人たりとて残してはおかぬ――鏖(みなごろし)だ」
『良かろう』
 返答もまた端的に、しかしこちらは鮮やかで深みある響きだ。科学魔人の一柱たる声の主は、その声でもって敵を断ずる。
『故にこそ我在り。この腕に宿りし御業に依りて安寧を守らん。譬(たと)え血に塗れ地に墜ちようとも、其こそが宿業と呼べるもの也』
「――――」
 断言を前に声が沈黙する。影も姿もなく、ただ風のみが抜けてゆく空間を、いっそ場違いなほどの重苦しい静けさが支配する。
 数秒か、数十秒か、はたまた。風音すらも引き伸ばされ、消失するかの如き静寂。無音の中で気配のみが蠢く探り合いが永遠に続くかとすら思われ、そして、
「ニコラ・テスラ」
『アルフレッド・ノーベル』
 互いの名が呼ばれ、
「――貴様を殺す」
『汝らの過ちを此処に糾さん』
 意志が叫ばれ、
「《爆裂掌(dynamite)》」
『【電流転火(AC/DC)】――!!!』
 力が交わされ――ミリオポリスの夜闇を切り裂いて、破壊が鋼色の空に生じた。



「……こりゃあまた、ハデにやったわね――」
 曇天の壱百万都市(ミリオポリス)。鉛を煮詰めたような色合いの空が地上に迫る中、呆れたように声が響いた。
 女だ。肩口まで届く髪は焔のような赤、切れ長の瞳に白い肌。無数の包帯に包まれた身体は背筋をぴんと伸ばしており、無骨なデザインの松葉杖をついて進むその歩調は迷いなく、口元には力の抜けた、しかし芯のある笑み。
 仲間内からはフォードと呼ばれるその女――ヘンリーケ・フォードは薄緑色の病院着姿で、ギブスを嵌められた足を引きずって歩きながら溜め息をつく。
「呆れた話だわ。この私が出遅れるなんてね」
「その体で戦う腹積もりかい? 無茶を言う」
 応じるのは透き通った若い声だ。金属的な揺らぎを持ち、しかし絶妙な人間臭さを保った声は、彼女の肩上から発せられている。
「出発前にこの端話子(モバイル)を持ち上げただけで震えていた女性の言葉とはとても思えないな。きみ、ひと月前に自分がどれだけの怪我をしたのか理解しているかい?」
「知ってるわよ」
 フォードは渋面を作り、三角巾で首に吊られた左腕を可能な範囲で振り回しながら、
「両腕に合計八箇所の骨折、右脚は複雑骨折が二箇所、肋骨に五箇所でひび、腹部裂傷、全身に無数の擦過傷――これでいい?」
「右鎖骨骨折、右膝蓋骨粉砕骨折、それから左鼓膜の破裂を追加だ。腹部からの大量出血と圧迫による内臓へのダメージ、それから短時間の酸欠も追加だな。後は――」
「ええい黙りなさい、まったく小うるさい奴ね!」
 僅かに頬を膨らませたフォードは、自由な右手で肩上に座る声の主をつつき回す。金属質な声に揺らぎ。
「おいおいヘンリーケ、止してくれ。端末が壊れてしまう。麗しいレディーがそんなことをするものじゃないぞ」
「アンタねぇ、毎回思うのだけれど、その歯の浮くような台詞はどうにかならないのかしら。気色悪いったら」
「そう言われてもこればっかりは。性分という奴でねえ」
 器用に肩をすくめる声の主に対し、フォードは感心と呆れがない交ぜになった表情で首を傾ける。
「しかし全く便利なものねえ、端話子って」
「そうでもないさ。小型化が進んだのは良いことだが、そのせいか合一は割と手間でねえ。ノイズも酷いし疲れるし」
「あら、そうなの。――全く不便なものねえ、端話子って」
「…………きみ、オンとオフの切り替えが激しすぎないか? 普段はもう少し、何というか自分を曲げないというか、こう」
「仕事とプライベートは分ける性質なのよ。そうでもしないとやってられないったら」
 フォードは苦笑。肩上に居座る小さな話者、鈍色の影を傷だらけの指先で突いて弄びつつ、

「アンタはどうなのよ? ――グラハム・ベル」

 問いかけに対するのは、鈍色の金属構造だった。
 小さい。機械というよりは工芸品、金属で造られた縫いぐるみといった趣(おもむき)。ちょうど手のひらに収まる程度の大きさのそれは、角を丸めた立方体の下面に六本の短い接地端子を持ち、前面には目と口を模した感覚素子が埋め込まれている。
 端話子と呼ばれるそれ――遠隔操作式の通話端末は、内蔵された発声素子から放たれる金属質な音で、操作者の意思を忠実に声として再現した。
「せめてアレグザンダーと呼んでほしいね? ミドルネームで呼ばれるのは好みではないからさ。ぼくは人生を楽しんでいるとも」
「端話子越しでなきゃ会話もできない身体でそう言えるってところは素直に尊敬するわよアンタ。ポジティブよね――」
「きみ、もしかしてぼくに喧嘩を売ってるかい?」
「まさか。――暇だから仲間で遊んでるだけよ」
「オフのきみって何だか物凄いなあ………」
 フォードの肩上で天を仰ぐ端話子だったが、その眼差しは遠い空には向いていない。
 彼の――端話子の視線は、彼とフォードの頭上に止まっている。
「派手よねえ」
 先ほどの発言を繰り返すようにフォードが言う。
「何やったらこんな風になるのかしら。本当に同じ人間?」
「少なくとも片方は人間と呼べるかも怪しいがねえ………」
 心なしかトーンを下げて会話する一人と一台の頭上には、巨大な構造物があった。強化高分子コンクリートと剛性炭素鋼と多層構造CNT(カーボンナノチューブ)複合積層材の集合体。ミリオポリスがその技術力を世界に喧伝するために建設した、世界最高レベルの大摩天楼(ハイパービルディング)のひとつ。
 大地に突き刺さり天を衝くその威容こそ、人類の叡智の結晶と称されたミリオポリスの象徴が今――崩れ果てて地に墜ち、その灰色の腸(はらわた)をさらけ出していた。
 半ばから叩き折られた建造物の地上七〇〇メートル。今は垂れこめた雲に巻かれているその場所を睨み据え、フォードは吐息する。
「アンタ確かここに来る前、言ってたわよね。破断した、って」
「そう言ったねえ」
「破断点があそこ。地上側の七〇〇メートルは砕けながらも構造を保ち、逆に天頂側の三〇〇メートルはほぼ形状を保ったまま落下し地表に衝突。余波で周辺建造物はほとんど崩壊、学区(グリッド)二八から三七は完全封鎖中。死者・行方不明者共に不明(かぞえきれない)、だったわね?」
「確かにそう言った。中央統括学会(アルス・マグナ)の極秘回線に寄生して得た情報だから確度は高い。欺瞞情報ではないだろうね」
 そう、とフォードは視線を地上に戻す。
 彼女の立つ場所は、ビルを挟んだ落下地点の反対側だ。
 残った構造体に護られ、衝撃波も破片も届かぬはずの場所。にも関わらず、あちこちで路面の舗装がめくれ上がり、巨大な鋼材の破片がそこかしこに突き立っていた。足元を見れば、噴火した火山もかくやという量の粉塵が積もっている。触れば目が粗く、崩れたとはいえども強化コンクリートとしての名残を色濃く残したものだ。
 ビル風によって運ばれるのか、頭上からぱらぱらと砂礫やガラスの破片が降ってくるが、一人と一台は気にも留めない。
 フォードは静かに、しかし深く深く吐息。己を鎮めるための呼吸を繰り返す彼女を、鈍色の意志が肩上から労わるように見つめる。
 やがて彼女は顔を上げ、己に対する視線に気づくと苦笑して、
「ありがとう。意外と紳士なのね、貴方」
「調子が戻ったようで何よりだ。ぼく個人としては、そちらのきみの方が好ましいのでね」
「訂正するわ。女に好みを押し付ける男は紳士じゃないわね」
「手厳しいね全く………」
 どこか遠い場所での男の吐息を、端話子は忠実に表現する。
「彼らはやはり、犠牲を躊躇わないのだね」
「科学魔人に理性なんてないわよ。あるのは知性だけ」
「至言だねえ。エジソン翁にも聞かせたいものだ」
 言葉と共に端話子が一回転。鈍色の背中に僅かな切れ目が走り、薄膜状のアンテナが飛び出した。ふわりと広がり蝶の翅膜のように展開する黒いシートは、風とは無関係に細かく揺れ動いている。
 伝話基点確保、とベルが呟いた。
「お連れいただきありがとう。これで都市中枢にアクセスできる」
「それは構わないけど、本当にこの場所で良かったの? ただの路上にしか見えないのだけれど」
 周囲を見渡すフォードに対し、端話子は器用に腕を振って、
「都市ってのは階層構造なのさ。地上にないものは地下にある。ビル落下の衝撃波は大深度地下まで届いたからね、ミリオポリス地下にあるマスターサーバー直結のメディアサーバー群は今頃、データ補修の真っ最中だ。普段はアクセス許可すら下りない深度のデータ群もスキャンされる。そこを狙って潜るわけだ」
「火事場泥棒もいいところよね――」
 呆れ顔のフォードに対して、端話子は体を僅かに傾けた。金属質の声が心なしか錆の色合いを含み、深く潜るように小声で、
「……成果がなければ、犠牲の意味もないからね」
「――え?」
 刻むような声色に、フォードが聞き返そうとしたその時、
『――――――!!』
 衝撃と共に、都市が揺れた。



 空間を焼く雷。
 それがすべての結論だった。
 熱、光、そして音。それらすべてが雷であり稲妻。
 ミリオポリス中央教導統治学群(タイプ・セントラルドグマ)、学区一一五。学区中央の官庁街を突っ切る片側五車線の巨大高架道路に、物理法則のすべてを無視した雷塊が着弾し炸裂する。
 焼かれ、砕かれ、引き裂かれるのは鉄とコンクリートとアスファルト。破壊を撒き散らすのは光と熱、そしてそれらの源たる電子の集合。正極と負極の別すらも科学の御名のもとに制圧する、まさしく化学的な悪夢のごとき一撃。
 そして、それこそが己の力であると――彼らは理解し君臨する。

「弱い」

 広大な路上で男が呟いた。二メートルに届かんとする痩躯を袖の広がった白衣に包み、両の腕は肩口までを銀の色彩が覆っていた。
 人工の腕――義腕だ。それも戦闘用の、指が膝下まで届く大型の義腕である。構造は無骨そのもの。関節部には入念なシーリングが為され、二の腕の装甲板には橙に黒の表示で『感電注意(CAUTION/Shock)』と描かれている。両肩口の後ろからは太いケーブルが何本も伸び、背中のコネクターに接続されていた。
 巨大な腕と高い身長に反比例するように、顔も体躯も縦に細い。頬がこけた蒼白な顔面は、無表情ながら微かに顰(しか)められている。左眼の瞳孔には色がなく、義眼に特有のガラス光沢が煌めいていた。
 微かに首を傾げた男は、ゆっくりとした動きで腕を上げる。不気味なほど滑らかに動く義腕は、全く駆動音を響かせずにその動作を完了。右腕を前にして掌を晒し、左腕を刃のように掲げた姿勢は、格闘技の『待ち』の姿勢にも似たカウンター気味の防御の構え。
 腕を構えた姿勢のまま、男は不機嫌そうな声色で、
「つまらん」
 呟く。まるで路傍の石にでも話しかけるような、音そのものを投げ捨てていくような鬱蒼とした声。
「何故だ」
 短く疑問する男はその姿勢を崩さぬまま、視線のみを前方に向ける。射るような義眼の輝き。
「何故、手を抜く」
 こぼれた言葉の先。雷撃によって隕石でも落ちたかのように大穴の空いた高架道路は、土煙に覆われて見通せない。
 その向こうから、敵意が飛んだ。
 刃だ。両刃のナイフにも似た薄い刃が、音速超過の衝撃波を纏って投じられた。土煙を裂いて、刃は一直線に男の胸元へと向かい、

「下らん」

 男の腕が閃く。左の瞳の冷たい輝きが瞬時に刃の軌道を捕捉し、義腕が人間の腕には不可能な小刻みな動きで掌の位置を調節。開いたままの掌が、真正面から銃弾に匹敵する速度を受け止め、

「――――【電気分解(Diselectron)】」

 空模様のごとく曇った声に導かれるように――刃が消えた。
 明らかなる超常現象を前に、男はゆっくりと元の位置に戻る腕以外は全身を微動だにせず、眼光のみを鋭くする。

「やはり貴様だな。トーマス・エジソン」

 まるで重厚な書物を持ち上げるように、敵意の中にもどこか敬意を払って厳(おごそ)かに呼ばれた名前に対して、動きがあった。
 土煙が唐突に払われる。巨大な扇に打ち扇(あお)がれたかのように、砂が波打ちながら左右に流れ、収束し、ひび割れた路面に降り積もっていく。
 その様子に男は僅かに口元を曲げ、
「砂鉄の操作。盗作だな」
「恥ずかしながら――その通り」
 応える声は立ち枯れた古木のように、芯の通った掠れ声だ。
 消えゆく砂塵の向こう側。高架道路の中央に穿たれた大穴を背にする人影がある。
 立っているのは老人だ。白の総髪を無造作に背後に流した姿は一見して無作法にも見えるが、その瞳は深い知性の輝きを宿し、垂直に伸びた背は年齢の衰えとは無縁の溌剌(はつらつ)さを周囲に発散している。その首元や額など、およそ大気に晒されうるあらゆる場所には大小無数の傷跡が刻まれ、年輪のように老人の痩身を取り巻いていた。
 老人の右腕は宙に伸ばされ、まっすぐに男を指すその指先には鈍色の刃を手挟(たばさ)んでいる。左腕は、多数のコードと金属管に巻かれた奇妙な形状の手甲(ガントレット)によって包まれていた。左手の甲では電圧計のメーターが忙しなく細い針を躍らせ、蜂の羽ばたきにも似た微かなさざめきが漏れている。
 老人、エジソンは僅かに漏れる笑みを小さく留めおきながら、小首を傾げるようにして、
「できることならば模倣と言って欲しかったがね。この齢で一から新しくものを創り出すのは堪えるのだよ――神経もフィラメントと同じく劣化するものでね」
「戯言を」
 笑う。表情筋はぴくりともせず、ただ僅かに歪めた口元だけで、男は嘲笑の意を正確に表現する。
「いつかと同じだ。貴様は変わらん」
 今度は蔑みの笑みが、
「盗作者め」
 憎しみの笑みが、歪みとしてエジソンに向けられる。
 負の感情の強烈な発露。それを前にして、老人はむしろ照れたように笑んだ。
「お前もまったく変わっておらんよ。寡黙で口下手なところも、強情なところも、妙に頭が固いところもな」
「…………、」
「そちらに行ってはいかんとあれほど言ったというのにな」
 エジソンは伸ばした右腕を顔の前でゆるゆると振りながら、
「お前たちが去ったことで、私も問いを投げられた。己の過ちについてだ。大いなる問いだったよ。結局はこうなった。お前たちも私も、同じく道を誤ったがゆえにだ」
 言ったその瞬間、指の間から刃が滑り落ち、そして投じられた。
 スパークは一瞬、加速も一瞬だ。刃は衝撃波を纏い、音速を越えて男に迫る。炸裂の光は同時に五〇。老人の足元の鉄片、路面に落ちた釘、道路脇の看板の留め具、砕けたエンジンギアの破片――エジソンの左手の手甲を基点に、半径五メートル圏内のあらゆる金属片が新たなベクトルを与えられ、初速を与えられ、加速して男へと迫り、

「くだらん」

 そして等しく撃墜された。
 義腕の蠢きはもはや視覚では捉えようがない。鋼と樹脂の集合体でありながら、その動きは極めて生物的だ。昆虫のごとき無機的な有機質の動作で、超常の業が迫るすべてを塵へと返す。
 男が掌を返すと、指の間から砂粒が音もなく零れ落ちた。風にさらわれて流れゆく粒子を、老人の瞳が見つめている。
「お前で最後なのだよ」
 吐息を一つ。奇襲の失敗を目の当たりにしても、エジソンに焦りの色はない。むしろ朗らかに彼は笑んで、
「難儀な能力(ちから)だ。強力無比ではあるが実用化に難がある。物理接触が発動条件とは、さては私が指摘した理論モデルの欠陥を修正しなかったな?」
「…………、」
「欠陥を認めつつも敢えて突き詰め、肉体を技術でもって昇華させることで有用とする――なかなか興味深い発想だ。いささか強引が過ぎるがね」
 沈黙を守る男に呆れたような目を向けるエジソン。その眼差しは次第に鋭さを増しつつ、男の痩身を刺すようにゆっくりと移動し、鋼色を宿した義腕の肩口に留まった。
 そこにあるのは紋章だ。天よりの稲妻に灼かれる鉄塔の抽象文様(エンブレム)――透かし彫りされたWWW(素晴らしき無線世界)の文字。
 世界法則に唾するものたちの証明を誇示するその印に、老人は静かに眉をひそめた。
「………愚かなことだ。まだ御伽噺を信じているのか」
「笑うか」
 男が言う。陰鬱な響きの内側に、明らかな非難の色を滲ませて。
「貴様が、これを笑うか。我らのみしるしを笑うというのか」
「少なくとも肯定とはなるまいて――彼奴と私は相容れぬよ」
「ならば」
「どうするかね?」
「――殺す」
 結論は端的だった。
もっとも彼が端的な存在でなかったことなど、科学魔人と成り果てたその日より一度たりとてあり得なかったが。
「貴様を殺す。トーマス・エジソン」
「殺せるかね、君に」
 その敵対を嘆くように。まるで知己への再会を得た旅人のように、教え子を言祝ぐ教師のように、老人は男に問いかける。

「私を殺せるかね。――ファラデー、我が不肖の弟子よ」

 返答は帰ってこなかった。
 代わりに雷撃があった。
 天上から撃ち下ろされる数多の雷塊が、新たな破壊を生産する。
 雷はエネルギーの塊だ。熱と光の集合は、物理法則に完全に反して一点へと収束。空中に幾重にも展開された発射点から、路面に対してほぼ垂直に、空気を焼いてエジソンへと殺到する。
 それを見つめる男の義腕は小揺るぎもしない。稲光に目を眇(すが)めつつも、無言。ただ眼前の老人の行く末を見届けるべく、彼は無言で立ち尽くし、
「…………糾すべき時が来たのだ。過ちの清算を」
 その声を最後に、老人の姿は光条の内に呑み込まれた。



「――これがエジソン? 都市を賑わす発明王? 超――弱い!!」
 既に武装風紀委員(パンツァーポリス)による避難誘導が行われ、無人と化した街並みに、耳障りなほど甲高い声が響き渡る。
 声の主は少年だった。否、少年のように見える外見をしていた。
 金髪碧眼。しかし、その外見に特徴といえるものは何もなく――ただ満面の笑みだけが、無個性な素顔に奇妙な陰影を与えている。
 曇天の下、灰空を突き抜けるように聳(そび)え立つ摩天楼、その壁面。遥か下方の路面に対して平行に、壁上に立つ小さな影。
 重力を当然のごとくに無視する、傍目から見れば異常とも言える己のその在り様に対して、彼は全く頓着しない。
 何故ならば、重力など所詮は宇宙における公理のひとつに過ぎず――そして彼は、公理でもって公理を覆しうる存在であるからだ。
「数字狂い(ラプラス)の触れ込み通りなら、もっとデータの取り甲斐があるはずなのになあ。超――残念! これじゃあ名前倒れだよ!!」
 科学魔人。己を極め、人域を越えて神の領域に踏み入ったもの。世界を象るその公理そのものを己に宿した物理法則の化身。
 即ち世界そのもの――科学魔人の絶対的な支配とは、法則そのものであるがゆえの不可侵性に他ならない。
 だからこそ、敵を侮るかのような言葉とは裏腹に、彼の瞳に油断の色はない。彼の声色に慢心の色はない。
 そもそもの前提が間違っている。彼には敵など存在せず、すべては観察の対象だ。己が常に不変であるがゆえに、他者への評価を彼が違(たが)えることはない。
「まだまだこんなものじゃない。そうでしょう? でなきゃ超――退屈! このぼく、序列第九位のジェームズ・マクスウェルがわざわざ出向く価値なんてありはしないじゃあないか!!」
 歌うように、踊るように。不満を口にしながらも、その目は好奇心に輝いて。理知の力を信ずるからこそ、すべてを識(し)るために彼は実験せねばならない。己の実験場を荒らす不埒な盗賊に鉄槌をくれるのも職務の内であると、彼は本気で信じている。
「ねえ第一五位(ファラデー)! きみはどう思う!?」
「…………」
 遥か視界の下方、無残に破壊された高架道路の上。義腕の特徴的なシルエットは、問いかけに対しても黙して何も答えない。
「まったく、何さ。黙っちゃって超――感じ悪い!」
 憤慨と共に彼は飛び降りた。落下速度は重力制御の領域で、実のところ彼にその力はない。重力を操る最大の実力者(ニュートン)は、つい先ごろ無残に殺された。しかして彼には、もっと単純な力がある。
「【四大電論(BEDH)】」
 世界のありとあらゆる法則を殺し尽くすかのごときその宣告は、いとも簡単に放たれた。
 摩天楼の壁面に沿って高速で、しかし制御された速度で落下する彼の足裏から、紫電の輝きが摩天楼の壁面へと延びている。不可視の磁力網が足裏から展開され、重力に抗している――ことを理解できるのは、似通った公理(ちから)を有するファラデーのみであったが。
 路面に飛び降りる小柄な影をファラデーは無感動に見据える。
「………ローレンツ」
「へ? 何さ。ぼくの姓はマクスウェルだけど?」
「そうだ。違う」
 ファラデーは表情を全く変えないまま、
「エジソン」
「彼がどうしたの? 殺し損ねた?」
「そうだ。違う」
「どっちなのさ」
「ローレンツだ」
「第一八位? 彼が何さ?」
 首を傾げて肩をすくめ、全身で疑問を表明するマクスウェルに対してファラデーは微動だにしない。
「倒されている。既に」
「へ? そうなんだ。誰に? あの赤黒の死神?」
「違う。エジソンだ」
「あのご老人? なんでさ。ただの発明家だ。彼にそんな力は」
「奴は盗作屋だ」
 その部分にだけ、ファラデーの声に感情が籠った。冷え切った、しかしふとしたことで顔を出す、熾火のように隠された激情。
「奴は他人の力を奪う。そうやって生きてきた。同じことだ。ローレンツもそうなった」
「第一八位は既に殺され、その力はエジソンに利用されている。そういう認識でいいのかな?」
「構わん」
 ファラデーは高架道路の破孔を見つめたままで頷き、
「今ここで奴を倒す」
「第三位の復帰を待ってからの方が良いんじゃないかな?」
「否。ここで倒す。テスラ卿の到着を待つまでもない」
 無表情のままの結論に、マクスウェルが大げさに肩をすくめた。
「きみってば第三位が好きすぎるよね。いや、電信世界公社(W.S.W.S.)の魔人は皆そうなのかな?」
「………………、」
「ああ、否定はしないんだ?」
「…………………」
 無言を貫くファラデーの表情に微かな焦りの感情を読み取って、マクスウェルはにんまりと笑う。
「ま、いいや。ぼく個人としてもご老体には退場してほしかったところだ。何せ研究分野が丸被りしてるものでね。もちろんぼくのが先行研究だけど、競争の芽は摘んでおくに越したことはない」
「………第二公理か」
「ご明察。きみの位階ではまだ遠い、一桁位階(ノーブルナンバー)にのみ許された第二研究さ。何せ都市全体を合わせても、研究に割ける経済リソースの余剰範囲が有限なんだから」
 底知れぬ笑みでマクスウェルは両腕を広げ、
「ご老体がいかに冒涜的な盗作屋であっても、第二公理の盗用は不可能だ。ヒトの身の限界を越えているからね。ぼくにしか成し得ない偉業だよ――いいかい、きみも第二を望むなら、戦いでしがらみに囚われないことだ。理性的な選択こそが最良の結果を、」
「黙れ」
「へ?」
 言葉尻を潰されたマクスウェルが外見だけは少年らしく目を丸くするが、ファラデーは完全に無視した。彼の目は細く眇められ、ゆるりと垂らした腕が新たな構えを作る。
 それは戦闘態勢だ。
「来るぞ」
 現状認識の言葉と前後して、力が奔る。

「――《其は雷、如何にも在りし文明の炎》」

 声と共に速度が飛んだ。
 声の出所は瓦礫の集合と化した高架道路の破孔下、底も見通せぬ都市溝渠だ。そして、放たれた刃はもはや刃といえる形を留めていなかった。
 それは砂鉄だ。幅一〇メートル、長さは一〇〇メートルにも達する、磁力によって制御された高速振動する流砂の剣。飛蝗の大群の羽撃きがごとき耳障りな音を響かせて、高架道路の路面を真下から熱したバターのように引き裂き、剣が二人の科学魔人に迫る。
 そして力が放たれた。
「――合わせろ、マクスウェル」
「席次上位者に命令するとか超――失礼! きみってば序列を理解してるのかい!?」
 言いつつもマクスウェルは頷きを一つ。軽くステップしてファラデーの背後に回った彼は、背から伸びるコードの一本に手を触れ、
「あまり強くするときみを内側から焼いちゃうし、出力は絞るよ。二割もあればいいよねえ?」
「問題ない」
 肯定するファラデーに、マクスウェルは満面の笑みで応え、
「じゃあ始めよう。踊れ電光、――【四大電論】!」
「【電気分解】」
 声が重なる。マクスウェルの小さな掌に白紫の電光が走る。コードを伝う力が音もなくファラデーの義腕に注ぎ込まれた。瞬間、義腕の全てのセーフティが開放。各所の排気口が閉鎖を解除し、装甲板がパージされ、赤銅色に赤熱した駆動系が外気に露出する。
 それらの動きすべてを初動として、ファラデーが動いた。迫る砂鉄の群れに対し、彼は無言で右の掌をカウンターとして叩き込む。

 そして世界が砕けた。

 彼の掌が触れた瞬間、すべてが極限まで分解された。塵埃も砂鉄も路面も高架構造も、周囲を埋める空気でさえも例外ではない。あらゆるエネルギー収支を無視して、術式の効果範囲に位置するすべての分子構造が単原子にまで分解される。
 停滞は一瞬だ。空気すらも消し去るその一撃によって音が消え、あらゆる物質が砕かれながらその存在を失っていく。体積の急激な変化によって周囲から空気が分解領域へと雪崩れ込み、更に分解されて真空を作る。分解物の燃焼で小規模な炸裂がいくつも生じ、大気の急激な膨張収縮の繰り返しで生まれた真空の刃が飛び回る。
 時間にして五秒、距離にして三〇〇メートル、効果範囲は最大半径五〇メートルの円錐形。
 ファラデーの掌を円錐の頂点とし、それだけの空間の物質という物質を分解し尽くして、公理の暴虐は突如として終焉を迎えた。
 音の戻った世界で、右腕の開放型放熱機構が鈍い音と共に動作をアジャスト。それでも構えを解かないファラデーに、マクスウェルが呆れたように苦笑して、
「待て。…………手応えがない」
「えー」
 アイツまだ死なないの、という独り言のような問いかけに、ファラデーが眉を微かに顰めながら陰鬱に答える。
「奴は言った。幾人かの来訪者があったと」
「………第一八位以外にも、力を盗まれたやつがいるってこと?」
 不機嫌そうに表情を歪めるマクスウェル。彼は雷撃と分解によって完膚なきまでに破壊された都市表層を眼下に収めつつ、
「いくらぼくたちが独立独歩といったって、あの方に導いていただいた以上は科学魔人の一柱。ご老体に後れをとるような間抜けがそうそう居るとも、」
「黙れ。来るぞ」
「…………、」
 またも言葉尻を潰されたマクスウェルが不満げに黙り込む。

「――《其は波、響き至る雷の似姿》」

 今度は、声は聞こえなかった。
 しかし力は雄弁だ。
 突如として超音速で彼方から飛来した物体を、髪先から紫電を飛ばしてマクスウェルが迎撃する。空中で撃ち落とされ、落下していくのは小さな鉄釘だ。マクスウェルは顔を歪めて、
「超――ウザい!! 何あれ。第一八位の【電磁機砲(RailCanone)】ってこんなに面倒だったっけ? 本人よりも上手く使ってるんじゃない!?」
「力の質が違う。おそらくは」
「別の誰かの力か――!!」
 叫ぶ間にも、絶え間なく鉄釘が飛来。空中で軌道を変化させながら全方位から迫るそのすべてが、マクスウェルの【四大電論】に撃墜されて空中で融け消えていく。
 公理術式を連続行使するマクスウェルの表情に、焦燥の色は存在しない。彼にとってこの程度の攻撃は、思考するにも値しない些事だ。しかし問題はそこではない――科学魔人、第九席たる己が事態の全貌を把握できていない。そのこと自体に驚愕と苛立ちを募らせる彼に対し、ファラデーはあくまで冷静に、
「やはりおかしい」
「だから何がさ!?」
「この力」
 ファラデーは己の義腕の安全装置を視線だけで確認しつつ、
「奴の模倣は劣化する」
「盗作にしては力が大きすぎるって? 確かに、出力はともかく精密制御性能は第一八位(オリジナル)に匹敵しているけど、彼は天下の発明王じゃない? その程度の問題は解決しているかもしれないよ?」
「そうだ。違う。奴は力押ししかしていない」
「――――」
 少年のような科学魔人の表情が変わる。絶やさずにいた口元の笑みが消え、瞳に冷酷な理知の光が輝き始める。
「…………力押し。盗用した公理術式をここまで使いこなすあの悪名高き発明王が、単調な攻撃ばかり。時間の浪費。攻撃。高位の科学魔人二人の拘束? たった一人で? 元弟子を相手に?」
「――――、」
 弟子という言葉にファラデーの顔が僅かに歪む。しかし思考を続けるマクスウェルは気づかない。彼は飛来し続ける鉄釘を、脳内で構築した論理パターンでほぼ自動的に迎撃しながら、
「…………ねえ第一五位。ぼくに出場の要請が来る前、既に彼と出会っていただろう? きみ、一体いつから戦っていた?」
「そうだ。一時間前」
「奴は誰かと組んで行動してたかい? きみは?」
「奴は一人だ。俺はボルタと組んでいた」
「第二五位と? 場所は」
「区画三一」
「閉鎖学区じゃん。昨夜にあの死神と第三位(テスラ)がぶつかった――」
 言葉が途切れる。訝しげに首を傾げるファラデーを見ようともせずに、マクスウェルは目を見開いて、
「――やられた!!」



 そして閉鎖された学区三一の路上で、松葉杖をついた女性の肩上で端話子が弾かれたように叫んだ。
「――まずい! 気付かれた!」
「はあ!?」
 勢いに釣られて叫ぶフォードに対し、端話子は焦燥を隠さず、
「防護障壁(ファイアウォール)が動き出した。たぶん誰かがぼくたちの目論見に気付いてる! 都市のシステム自体には感知されてないから情報はまだ抜けるけど、敵がもうすぐこっちに来るよ!!」
「……ええと、一体どういう理屈なのよそれ」
「メディアサーバー内への侵入経路は完全に隠蔽してるから、マスターサーバーが処理を全部切って内部を完全走査(フルスキャン)しない限りは僕の仮想体(アバター)は破壊されない。けど、仮想体を潜り込ませるまでに使った物理的なアクセス経路を辿るのは結構簡単なんだ!」
「――つまりどういうことかしら?」
「この場所はもうバレてる!!」
「――つまりいつも通りってことかしら」
 まったく、と頭を振るフォードの背後には、いつの間にか巨大な影が立っている。五メートルほどの長身に無骨な四肢をもち、胸には神雷鎚(トールハンマー)の抽象文様の輝く機体。
 T型侍働者だ。剥き出しの感覚素子を小刻みに動かす警戒態勢の機体が計一〇機、瓦礫の影から次々と現れる。
 その光景に、端話子は器用に呆れ顔を作り、
「…………どこから出してきたんだい、これ」
「最初からいたわよ。廃棄された地下水道を通って、地下からずっと私たちのことを守ってたわ」
「お見それいたしました……」
 肩をすくめる端話子を一通り突き回して、フォードは満足げに、
「こんな代物でも、エジソン先生の薫陶の賜物なのだからね。連中に対しては気休めにしかならないけれど、何もないよりは余程ましでしょう? 私も貴方も、直接戦闘は不得手なのだから」
「それもそうだ。済まないがしばらくは頼むよ」
 端話子の向こうのベルの声が、一段と真剣さを帯びる。
「接続経路を完全に切断したら、もうデータは手に入らない。可能な限り手を尽くして、都市の電子システムにバックドアを仕掛けられないかやってみるよ。今回がダメなら次回に託すまで。何としてもこの機会をモノにしてみせる」
「…………無理をしないで、とは言わないでおくべきかしら」
「どちらかと言えば、最善を尽くしてと言って欲しい。その方がぼくの好みだな」
「やっぱり貴方は紳士じゃないわね」
「手厳しいな――」
 苦笑。微かに震える端話子が、ベルの感情をフォードに伝える。声のトーンが一段階下がる――あまりにも感情に忠実な端話子。
「今までは、無理をしないで頑張ってきたよ。その結果がこれだと――この学区を襲った惨劇だと、ぼくはそう理解している」
「………彼らの戦闘が始まる前に、警告はしたのでしょう?」
 どこからともなく現れ、数を増やし続ける侍働者たちに指示を与えながらフォードが訊く。対するベルの声色は、錆色の自虐をたっぷりと含んでいた。
「――少なくとも一時間前には、都市の交通管制を乗っ取って学区を無人にする手筈だった。だけどシステムは反応しなかった。ぼくのクラッキングはとっくの昔に見抜かれていて、連中は僕らの存在を隠すため、この学区の市民を見殺しにしたのさ」
「そんなこと、一体誰が――」
「決まっている」
 激情を抑え込むように、ベルが呻く。

「ジェーン・ノイマン。このぼくの脳味噌を三分の二ばかり焼いてくれやがったクソ野郎。奴がいる限り、この都市の電脳空間は決してぼくたちの自由にはならない――こうして裏からこそこそと、マスターサーバーの目を盗んで裏側を這い回るのが関の山なんだよ」

「……………、」
「奴の鼻を明かしてやる。そのためにぼくはここにいる」
 氷柱の軋みにも似たベルの宣言に、フォードが目を伏せて沈黙する。俄かに静けさが広がる無人の路上には、風鳴りと侍働者の駆動音だけが強く響き、

「――――――!?」

 何の前触れもなく、電光が無人の都市を焼いた。



「かの発明王を陽動にしてデータを盗み出そうとは、中々に考えたじゃないか。だけどぼくってば超――頭いい! きみたちの目的さえ分かってしまえば、追跡も容易いんだよね!!」
 無人の街の遥か上空。大摩天楼の壁上を駆けながら、小さな悪魔が笑っている。彼の掲げた両手の周囲には、無数の雷球が生まれては消え、その出力を高めていく。
 科学魔人、マクスウェル。第二公理の発現を許された、人域の踏破者たちの中でも別格とされる第九席。
 その身でもって魔人の魔人たるを体現する男は、閉鎖学区の街路を壁面走行によるショートカットで移動しながら、
「――第二位(ノイマン)! 早くデータを寄越せよ。学区三一のどこかに奴らがいるはずなんだ!」
『まあ待ちたまえよ、ヤーメス。そう焦ってはいけない。大体、私はマスターサーバーの修復作業の真っ最中なんだぞ。少しは友を労わってくれてもよいのではないかね?』
「………黙れよ、ぼくの名前はジェームズだ。今まさにお前のその玩具からデータが盗まれようとしている。おそらくはあの方の所在に繋がるデータがだ。それをお前は許容するというのか?」
『そんなことはないさ。だがね、物事には順番というものがある。いかに私の頭脳が優秀であろうと、覆せないことはあるのだよ』
「ああ、そうかい…………!」
 もういい、と乱暴に通信を切る。耳元で弾ける通信術式のスパークが消え去ると同時に、マクスウェルは盛大に舌打ちをした。
「クソ、あの女」
 普段は決して吐かないような言葉が飛び出して、マクスウェルは己の動揺を悟る。彼女と話した後はいつもこうだ。己の優秀さを盾に、壱百万都市のシステムの中核に居座る女――あの方が何故彼女を傍に置いておくのか、マクスウェルにはまったく理解できない。
 ともあれ今は、システムへの侵入を試みている連中を一掃しなければならない。陽動には陽動で対処する――エジソンが学区三一からファラデーを誘い出し、その足止めを企図しているならば、それに乗ってやればいい話だ。ファラデーをエジソンへの対処に残し、高速移動が可能な己が単身で学区三一に乗り込む。第二位の援護なぞ端から当てにはしていない。
 それよりも、単身で今回の件を解決したならば、あの女に一杯食わせてやれるだろうか。そんな思考を巡らせながらも油断なく、彼は己の周囲に【四大電論】の磁力障壁を巡らせることを忘れない。
 大抵の遠距離攻撃は、外向きに限定された磁場である抗磁圧の壁が防いでしまう。第四位(ニュートン)と同じく公理術式が近接戦に向いていない己は、ファラデーの援護なしでの戦いに不安が残る。彼の事案を反面教師とするならば、実験対象への接近は極力避け、高高度から遠距離雷撃の連射で仕留めるべきだろう。
 そう結論し、足裏に抗磁圧を発生。強烈な反力によって彼の身体は宙に投げ出され、隣接する高層ビルの屋上に着地する。
 第二公理の恩恵によって、着地の強烈な衝撃にも関わらず彼の身体はまったくの無傷だ。学区三一の折れた大摩天楼が、ビルの屋上からよく見える。マクスウェルは笑みを浮かべつつ、次の疾走に向けて床面を蹴り、加速して、

「――《爆裂掌(dynamite)》」

 その無遠慮で無機質で無感動な声が聞こえたその瞬間、彼は全力で声と反対の方向に跳んだ。
 その反応が生死を分けた。
 抗磁圧の障壁が紙切れのように引き千切られ、臓器という臓器が突然の衝撃に悲鳴を上げる。肺から空気が絞り出され、呻き声すら出せずにマクスウェルは吹き飛ばされた。冷たい床面を何度もバウンドし、壁面と一体化した給水塔に叩きつけられて止まる。
 骨格を直に打撃された痛みが全身に走り、理性を無視して涙が零れる。痛みに揺れる視界すらも忘れて、もがくマクスウェルは驚愕していた。
 見える。明滅する視界の端に、簡素な茶色のコートに身を包んだ背の高い人影が映っている。右腕には黒鋼色に輝く、奇妙な意匠の大型手甲。紛れもなく奴だ――壱百万都市の死神、赤銅色の殺意、狂奔の復讐者、アルフレッド・ノーベル。存在そのものが都市への敵意でできているような人間が、今まさに己を殺そうと無機質な歩調で近づいてくる。
 恐怖はない。いずれは会いまみえるであろうと予期していた――しかし今、よりにもよって近接戦に特化した第一五位と隔絶されたこの時に、このタイミングで襲撃されるなど――!
「………………ま、さか」
 嵌められた。
 脳裏に想起された回答に冷や汗が流れる。もはや表情を取り繕う余裕もない。科学の輩たる己が凡俗の実験対象に思索で後れを取っているという最悪の想像に全身を総毛立たせつつ、それでも彼は科学魔人としての在り様を全うしようとする。
 すなわち、
「――【四大電論】!!」
「《爆裂掌》」
 第一五位の陰鬱な口調とはまた異質な、熱く灼けた鋼を吐き出すかの如き単調な言葉。しかしその言葉は、科学魔人とは別種の法則によって導き出された、世界を焼く冒涜の宣告だ。
 収束し、光と熱そのものと化した雷撃が、殺戮者の拳と真っ向から激突し――そして四散し、炸裂した。
 余波はそのまま、エネルギーの波濤となって屋上の床面を抉る。立ち上がろうともがいていたマクスウェルは再び吹き飛ばされ、今度は屋上の端の落下防止策に激突して止まった。
 苦鳴はない。仮にも第九席である。物理法則を踏みつけにして、人であることを愚かと断じた、その意地と誇りとが彼と彼の同輩たちを科学魔人たらしめている。
 【四大電論】は通じない――驚くべきことに、少なくとも直接の火力では、死神の腕は彼の第一公理を凌駕する。それを理解した瞬間に彼は迷いなく、その切り札(カード)を切ることにした。
「――第二公理、【存在熱力(Memory of Demonic)】」
 囁くような宣告と共に、彼の存在が切り替わってゆく。
 艶のある肌も、輝く瞳も、桃色の頬も。およそ少年らしさを保っている身体のすべての部位が、まるで別人のように変化する。ただひたすらに異常というほかないその変容――肉体が高速で風化し崩れ落ちながら再生する。
 それはまさしく、若返りの逆回しとでも言うべき光景だ。
 敵手の豹変した姿――しかし赤銅色の死神は動じず、ただ眉を上げて驚きの感情を僅かに現した。
「……エントロピー制御か、それは」
「ああ、そうだよ…………!!」
 応える声すらもひび割れて、しかし芯の通った敵意でもってマクスウェルだった存在は言う。
「熱力学の到達点、そこに位置する門を守る悪魔の証明だよ。エントロピー増大則の部分的打破による永遠の肉体! 年を取らないというだけならば簡単なことだ。未だ術式は研究途上で不完全とはいえ、おれは天才だからな――!」
 ぼろぼろと崩れ落ちながらも再生を止めない肉体は、立っていることすらも覚束ない。それでも腕を伸ばし、紫電を纏わせて戦意を示すのは、その科学魔人としての矜持ゆえか。
 それらすべてを歯牙にもかけず、ノーベルはその無機質な歩調でもってマクスウェルのもとに歩みを進める。
「貴様を殺す。ジェームズ・C・マクスウェル」
「誰が――!」
 笑う。肉が皮が骨が、乾き崩れて剥がれ落ちながら再生する。もはやかつての少年の面影すらなし。暴走するエントロピー制御術式に己の肉体を崩されながらも、不敵にマクスウェルは嗤う。
 紫電が奔った。膨大なエネルギーが制御を失って荒れ狂い、マクスウェル自身の肉体をも焦がしながら急激に膨張する。
 ははは、と笑んだ。勝利を確信した笑みだ。
「おれの永遠の肉体は第二公理そのものであり、またその枷そのものだ。【存在熱力】はエントロピー制御術式の転用――公理術式に対する物理法則の修正力を無限のゼロ近似点まで減衰する」
 強力すぎておれ自身にも制御できないほどだ、と彼は言い、
「第一位(アインシュタイン)ですら世界の修正力には抗うことができないでいる。おれだけがそれを無効にできる。無限に膨れ上がるこの力を、お前に叩きつけることができる。忌々しい悪魔め――!」
「そうか」
 凄惨な表情で嗤う少年だった男を、正面からノーベルは無表情に見据えた。鋼の腕を有する死神は一言、冷徹に、
「話は済んだか」
「――――――――!!」
 絶句する男をノーベルは冷たく一瞥する。
「お前の術などどうでもいい」
 右腕を掲げる。かつては肉の腕があった場所。今では鋼の腕がその異形を晒している場所を、打撃の構えでもって誇示し、
「お前を殺す。他の魔人も殺す。――科学魔人をすべて殺す」
 それ以外はどうでもいいことだ。
「お前の言葉に意味はない。価値はない。ただ、ここで死ね」
 宣告する。殺意と敵意とでもって、相手のこれまで積み上げてきたあらゆるものに一切の価値を認めずすべてを否定する。
 それがアルフレッド・ノーベルだ。復讐にすべてを捧げた男だ。炎に魅入られその身を焦がす、プロメテウスの呪いを受けた男だ。
 だからこそ――己が世界を踏み越えることのみを指向する科学魔人にとって、その在り方は許容しがたいのか。
「貴様ァ――――――――!!」
 己が喉すらも引き裂かんばかりの叫びと共に、最高出力の雷撃が世界を焼き尽くさんと放たれた。
 力とは破壊そのものだ。触れるものすべてを灼き払う白い殺意となって、光条がノーベルに突き刺さる。
 炸裂の余波は光の波濤となった。空気そのものが赤熱し、ビルが屋上どころか構造体ごと焼き切られる。本来の軌道から弾き出されたエネルギーの分流が四方の大摩天楼に無形のナイフとなって突き立ち、局所的な溶断と融解を引き起こす。本来ならば徐々に出力を弱めていくはずの雷撃は、しかしその熱量を減じさせない。収束した雷はプラズマ流に転化して、その破壊力を十全に発揮する。
 崩壊は、壊れるというよりも崩れるようにして起きた。両者の足場は、鉄とコンクリートの仕切りによって区画されたビル構造。莫大な熱と光の収束は刃となり、その仕切りを無意味なものとした。畢竟、支えを失った構造が辿る運命は一つとなる。
 自壊する。目まぐるしく空を焼くように放出される雷光の束により、支柱も壁面も何もかもを溶断された摩天楼は、己の自重を支えきれるだけの構造を維持できず頽(くずお)れた。切り裂かれた中層階が上層階の重さに耐えかねて破断し、半ば融解した上層階が落下。衝撃と更なる破壊によって下層階は潰され、最終的にはすべてが瓦礫と衝撃波とを撒き散らしながら地表に激突する。
 それが連鎖した。戦場となった高層ビルとその周囲、計六棟。最も低い建造物ですら二〇〇メートル級。地表に突き立つコンクリートの柱とでもいうべき構造たちが、大地が咆哮するがごとき自壊の轟きと共に地表へと墜ちていく。
「――くははははははは! どうだ、おれの【存在熱力】は!!」
 墜落する巨大構造の上、高熱によって融解した建材がガラス質となって空を舞う中。抗磁圧の反力によって不自然にゆっくりと落下するマクスウェルは、勝利の予感に哄笑する。
 彼はまだノーベルの死を直接確認していない。あの一撃を喰らった以上は骨の一片も残っているまいが、確実な殺害の証拠を持ち帰らないことには第二位(あの女)への優位が獲得できないのだ。
 確認の方法がないではない。彼の第二公理はエントロピーの制御――というよりもエントロピー増大の限定的な反転だ。科学魔人の業は基本的に熱力学第二法則に反する――それゆえに能力の行使にあたって世界から強大な制約を受ける。それを緩和することが【存在熱力】の本意だが、少しばかり無理をすれば転用もできる。
 少年のような外見を維持していた彼の肉体も転用の一環だ。老化を無視する肉体は、エントロピー制御によってのみ実現する。
 四散したノーベルの肉体を一部だけでも復元するとなれば、一昼夜は優にかかる大仕事だ。しかし不可能ではない、ならば自ずから可能となるのが科学魔人の在り様である。一瞬で今後の方針を纏めたマクスウェルは、空気中の塵埃が乱れる前に炭の一片でも回収するべく、そのぼろぼろに崩れかけた手足に抗磁圧の力場を展開し、

 次の瞬間、マクスウェルの腹に拳大の大穴が空いた。

「―――――-――は?」

 音速を越えて届いた衝撃が、彼の身体を木の葉のように吹き飛ばす。空を舞いながら痛みを忘れて疑問するマクスウェルの耳に、一瞬を遅れて声が届く。

「――汝、炎より光(lux)を生ず」

 あまりにも不躾な、すべてを顧みぬ盲人のごとき言葉の羅列。

「――汝、光より速度(celeritas)を生ず」

 無遠慮で無機質で無感動な、魂を連れ去る死神のような、

「即ち炎より速度を生ず。以て公理と成す。心せよ――」

 何よりも致命的な、触れるものすべてを破壊へと導く声が、

「――《衝迫勁(ballistite)》」

 ありうべからざる死の訪れを、墜ちゆく魔人に届けたのだった。



 状況は切迫していた。戦況は逼迫していた。
 破棄された乾燥水路を疾走する老人、エジソンは己が肉体の衰えに苦笑を隠せない。
 動かぬ右腕、感覚のない脚。老骨に鞭打つのはこれが最後と嘯いて、もう何年になるだろう。
 厳しい戦いを続けてきた。諦めようと、このまま重ねた年輪のあわいに沈んでゆくのだと、幾度となく思い詰めたのだ。その度に往生際悪く、無様に生き足掻いてきた。しかして今度ばかりは、と。
「――《其は連なり、人の身に宿りし雷の眷属》」
「【電気分解】――!!」
 弱り切った肉体への叱咤として、左腕の転換機が唸りを上げる。詠み上げられるは生体電流を操る魔人の成した罪科の一節句。かつて己が共に鍛え、そして沈めた弟子の、その血塗られた力の証明。それを打ち砕かんとするのもまたかつて教えた弟子となれば、大いなる皮肉というべきだろう。
「ガルバーニの生体強化か。知っているぞ」
 かつては壮気に満ち、今は欝々として、さらにその中に焦熱を秘めた声。ファラデーの怒りを肌身に感じて、老人は弱弱しく笑い、
 その足元が大きく裂けた。
「むう――――――!?」
 支柱を分解され崩れ落ちる水路。その下は僅かに汚水の流れる都市暗渠だ。乾燥した糞便の臭気に表情を歪ませつつも、エジソンは心中で感嘆する。
(分解の対象を任意に選択できているのか――!!)
 かつての彼はどうだっただろう。そこまでの精密な制御理論は構築できていなかったはずだ。そも、科学魔人の力を得ぬ段階での研究は、現実に反映されることのない机上の空論に過ぎないのだが。
「成長ということか――《其は誘(いざな)い、三方より至る錯の六大》!」
 ともあれ力は走る。落下の加速度を力として仮定すれば、反力は磁力と電流の操作によって導かれるのだ。かつての弟子の一人から奪った公理術式が発動。老人は重力の影響を殺して水路に着地する――しかし後方でも硬い着地音が響いている。距離を詰められればそれで最後だ。続く動作でエジソンは更なる一撃を放つ。
「《其は放射、巡り至る光輝の転座》」
 閃光が暗闇を焼き、崩れかけの暗渠の天井が熱を伴う衝撃を受けて本格的に崩落する。落下するコンクリート塊の行き先は、鈍重な義腕を抱えるファラデーの頭上。そのシルエットが大きく変形し、轟という風音が響いた次の瞬間、投げ飛ばされたコンクリート塊がエジソンの右腕を掠めている。
「…………!!」
 義腕でもって崩落する暗渠の瓦礫を受け止め、刹那の判断で投げつける――義体でなければ不可能な荒業。
 呆れるほどに分が悪い。身を翻し、暗渠の闇へと逃げ込みながらエジソンは追手のことを思う。かつての師を無表情に追う、かつての弟子の姿を思う。幼く希望に満ち、夢に心躍らせた瞳の輝きが、いかにして冷たく濁ったかを想う。
 迫る足音は金属質。両の腕だけでなく、脚にも改良を施しているとみてよいだろう。なるほど、よくよく考えてみれば、あの大きさの義腕を一対、生来の両脚で支えておける訳もなし。この分では両者を繋ぐ体幹、脊椎にも何らかの加工を施しているだろう。生来の肉体がどれほど残っているものか、もはや判別できぬやも知れぬ。
「…………老いた己を実感するというのも、悲しいものよなあ」
 独語してみれば、これも老人の癖というものか。
 己の力についての納得は、もはや過ぎ去った日々の内にある。この老骨ですらその境地に至るまでに数十年の時を費やした。その半分に至るかどうかという弟子たちが、師より分け与えられたものが他者の力を比喩なく喰らって得たものであると知ったのだ。彼らが反旗を翻して下野したのも、あるいは運命といえるのだろうか。
「…………それが巡ってこの再会を生むというのは、いささか劇的に過ぎるが、ね!」
 走る――腕を振る――雷光が閃く。模倣の力は強力ではあるが、模倣である以上は劣化を免れぬ。故に複数の力を組み合わせ、千変万化の戦術でもって抗するが常道だ。電磁気を操り空中に磁力でできた不可視の砲身を形成、そこに刃を投げ込み加速。微細な振動を与えて射線をずらしつつ、連射によって手数を稼ぐ。
 都合七〇の火線が閃く。エジソンに操れる最大数。これ以上の数を操るとなれば生体強化に綻びが生じ、一瞬で距離を詰められるだろう。己は本来ならば車椅子を常用していてもおかしくはない年齢である。この力なくば、戦場へ出るなど望めないだろう。
 背後で風が吹いた。刃はおそらく通じまい。そもそもが近接戦に巻き込まれた時点でこちらの負けである。接触したものすべてを原子に還すその力に、抗する術を己は持たない。
 だからこその逃げの一手だ。都市の地上と地下の境界たる都市暗渠。その先にあるのは勿論のこと、巨大な下水処理場だ。地下構造内部はその性質上、科学魔人の大きすぎる力を封じやすく、エジソンらにとってのホームグラウンドだ。そこであれば勝機もあるだろう。そしてまたあるいは、最後の弟子との対話の機会も、もしや。
 一縷の希望を抱いて、エジソンは溝渠を疾走。水路の合流点を越えれば、足元は一面の汚水だ。本格的に通路が入り組み始める。到達点が見えた、とエジソンは口元を綻ばせ、
「―――――――!?」
 足元に水。いちめんのみずたまり。かれの得た力とは何か。
 その意味に気付いたその瞬間――勝利の予感に暗く淀んだ声が水路に欝々と響き渡る。
「【電気分解】」
 続く小さな嗤い声は、爆轟と灼熱に掻き消され、届かない。



 紫電は、魔人のかたちをしていた。
 眼前に現出したその姿。鉛色の雲海を裂くように、突如として降り立った力の具現を目の当たりにして、フォードは背筋に冷や汗の流れるのを自覚する。
 この力を自分は知っている。というよりも、この力を知ったからこそ、自分は闘争に身を投じたのだ。力に支配された世界では、生きてはいられないと得心したのだ。
 ニコラ・テスラ。序列第三位の科学魔人。自己の存在そのものを雷電へと変換した、ヒトならざる者の最右翼。その存在こそがミリオポリスの『世界都市戦略』の要石であり、全世界調和型無線電信(世界システム)の完成に邁進する狂気の科学者。
 すなわち、敵だ――序列第一位から第三位までの科学魔人は、都市インフラと完全に一体化した能力を有している。都市そのものの似姿である彼らの力は、それ以外の科学魔人とは完全に隔絶した強度を有すると、師であるエジソンは真剣に語った。
 曰く、生ける自然災害。曰く、顕在化した人類のエゴ。曰く、存在すること自体が物理法則への冒涜。
 状況はどうしようもなく不利だ。己の能力は機巧依存型――電磁気そのものともいえる存在であるテスラとの相性は最悪だ。ベルに至っては完全に支援要員で、戦闘能力は皆無に近い。そもそもノーベル以外の人間は、まともに戦闘を挑めもしないだろう。だからこその今朝がたの襲撃――しかしそのノーベルにしたところで、テスラに手傷を負わせられたとは考えにくい。眼前の白く輝く人影に、傷跡なぞ一つとてないではないか。
「…………最悪ね」
 呻く彼女と肩上の端話子を守るように、侍働者たちが緩い円状に展開する。あくまでも配置としては防護。そも攻撃ができるなど考えてもいない。ヘンリーケ・フォードという女は、それほどに思い上がってはいない。自分がただ諦めが悪いことだけが取り柄の女であると、彼女自身が得心しているがゆえに。
 警戒するフォードとベルに対して、テスラは無言。紫電に包まれた身体が、一瞬張り詰めたように歪み、そして、

『―――――――――――――!!』

 次の瞬間、眩い閃光と共に四散した。
「な―――――」
「危ない――!!」
 散華の瞬間すらも強烈に。超高電圧の放電によって周囲一帯が帯電し、小規模な空中放電が生じて無人の学区を明るく照らし出す。電撃を正面から喰らった侍働者たちが内部回路を焼き切られて次々と動作を停止し、瞬間停止を免れた幸運な機体は自律診断でアースを路面に打ち込み放電を開始する。
 そこかしこで電子機器が誤作動し、帯電した物質が火花を散らす中、ゆっくりとフォードは起き上がった。
「…………一体何だったのよ、今のは」
 テスラが出現したと思えばいきなり消滅し、過剰放電が一帯を焼き払った――理解の埒外にある現象に呆れつつ、フォードはそれでも果断に状況判断を開始。
 周囲を見れば、先ほどの一撃で侍働者の半数以上が破壊されていた。電撃を操る侍働者ではあるが、行き過ぎた出力に晒されれば容易く内部回路を損傷してしまう。大量生産品のT型侍働者では、科学魔人の攻撃に対抗しきれないゆえんだ。
 そして、肩上の端話子もぐったりと動きを止めていた。
「…………本体は無事なんでしょうね、これ」
 関節部から微かに樹脂の焼ける臭いを漂わせる端話子を突きまわし、フォードは嘆息。
 状況は不明。しかしながら脅威は去ったものと仮定。
 ならば成すべきは撤収だ。メディアサーバーに接触できるのはベルの端話子のみ。自分にできるのは運搬と護衛のみであって、それすら果たせなかった現状は撤退の一手のみが有効である。
 最も、
「…………悔しいけれど、私にできることは何もない」
 理性での納得は、感情までは御しきれない。動けぬ端話子を掌に載せ、半ばより折れた摩天楼を見上げるフォードは、一人静かに結論する。
「――次はこうはいかないわ。覚悟なさい」



 そしてその男は、すべてを見届ける位置にいた。
 ウォーデンクリフの支配の塔。電信世界公社(W.S.W.S.)がその威信に懸けて建設した、壱百万都市の中心部に位置する超巨大複合電波塔(メガロテレタワー)。
 その実、電磁波と化したテスラを地上のありとあらゆる場所に偏在させるための基点となる中枢集約型投射装置。
 その頂上で、雷電の王は無表情に、招かれざる客を出迎える。
「エジソンでなくて悪かったな」
 開口一番、闖入者はそう切り出した。
「こっちも最初は爺さんを充てる予定だったんだが、色々と手筈が狂ってな。そもそも爺さんもそんな齢じゃねえってゴネやがるし、ヘンリーケは騒ぐしアレクは茶化すし、挙句は馬鹿が勝手になあ。
どーにもなんないんで結局は俺にお鉢が回った。勘弁してくれよな、他人の因縁を代理で清算とか、全くもって趣味じゃないんだ」
 良く回る舌だと、そう思う間にも、男は喋り続けている。
「俺は別段、工作やら準備やら、そういうのが得意ってわけでもねえんだ。手先は不器用だし、気が短けえし、何より向き不向きってえ奴があるだろ、なあ? 馬鹿は馬鹿やってりゃあ勝手に敵が死んでくから凄えんだが、そういう雰囲気でもねえしな、俺。だもんで不遇を囲ってたわけだが、まあ、アンタに恨みは特にねえわけだ」
『…………問おう。其の言葉、如何様なる意を含むか』
「あー? 意味? 知るか。世界の全てに意味がなくちゃあ気が済まねえタイプか、アンタ。そりゃあ傲慢ってもんだろう。意味があるから宇宙が生まれんのか、意味があるから生命が生まれんのか。どうだ? 違うだろうが?」
『否。此の世、此の地、此の宇宙、全てに遍く秩序有り。以て意義と為らん。其即ち公理なれば』
 断言する。それこそがテスラの世界観だ。すべてに意味があり、すべてに意義があり、すべてに意図がある。誰がは重要なことではない。どうしても重要なことではない。あくまで何がなぜどうなるのかだ。それを突き詰めるためだけに科学魔人が存在しているのだと、彼は本気で信じている。
 共鳴する仲間を集め、世界電信公社を作り上げ、壱百万都市を発展させてきた。すべては意味を理解するためだ。世界そのものになるためだ。己が己であるためなのだ。
 故に問う。意志あるものの必然として。
『――問おう。汝、何故に破壊を望むか』
 昨夜の問いの焼き直し。もっとも、既に雷電そのものであるテスラにとって、時間の観念は希薄であるが。
 敵対者すべてに対して繰り返される究極の問い――対して、闖入者の男はソフト帽の縁を軽く持ち上げた。
 視線が通る。悪戯っぽく輝く瞳が、テスラの磁力の目を射抜く。
 結論は簡潔にして、すべての理解を拒む壁。
「決まってるだろう――俺が俺であるためだ」
 そうか、とテスラは頷いた。
 その言葉の真意を問おうとは思わない。その言葉に価値を求めようとは思わない。パーソナリティーの破綻した科学魔人たちの中でも一等にひとでなしであるテスラは、言葉という意思疎通手段に対して感傷的な判断の一切を廃している。
 ただ、究極的には己と同じ理由で戦うその男に、初対面ながらも共感を覚えた。
 ならば否やはない。
『【電流転火(AC/DC)】』
 紡ぐ言葉は音ではなく電子。時は一瞬の数万分の一。光と同速で届いた一撃が、闖入者の心臓を射抜くべく一直線に駆け抜ける。
 そして霞のごとく消え去った。
「――おいおい、もう終わりか?」
 笑う男に瞠目を隠さず、しかしテスラの動きは変わらない。
『【電流転火(AC/DC)】』
 次撃は一回目に倍する威力で。白紫の渦が大気の電気抵抗を無視してテスラの体から流れ出し、漂う塵埃を灼く橙色の軌跡を描いて男に迫る。
 そしてまたもや、大気に溶けた。
『【電流転火(AC/DC)】』
 それを見届けるよりも先に第三撃が放たれる。かのマクスウェルの最大威力の雷撃に容易く匹敵する規模。第一公理の単詠唱のみ、片手を振るだけで放たれる十億ボルトの猛威。
 それらすべてが、ただ塔の縁に立っているだけの男の体に触れることもなく消滅した。
『………………………?』
 疑問に小首を傾げ、首元でスパークを発生させるテスラは、そこであることに気付く。
 黒のスーツ姿の男の背後。雲が渦巻く曇天のミリオポリスの空。夕闇が迫る中、雲の向こうに巨大な影が見え隠れする。形状としては正方形に近く、ゆらゆらと左右に蠢き、風に流されているようにすら見えるもの。
 それは凧だ。巨大な、一辺が二〇メートルはありそうな凧が、地上一二〇〇メートルの空に、雲を切り裂くように浮かんでいる。
「おや、気付いたか」
 男が笑った。不敵な、という形容が似合う、すべてを笑い飛ばす陽性の笑みだ。
「でかいだろ? これでも敵地に潜入ってんで気を遣って地味なのを選んでるんだぜ。本当はもっとド派手でノリのいいやつが好みなんだがな。アンタの好き嫌いが分かってりゃあ合わせてやれたんだが、分かってるぜ、そういう性分じゃないだろう?」
『肯定する。調和と沈黙こそ我が誉れなれば』
「クソ真面目だなあお前さん。いや、だからこそこんな所で俺なんぞと真面目に話してんのか? 人生大変だなあオイ」
『――問おう。汝、如何様なる名を得るか』
「無視か――――――」
 わざとらしく溜め息をついて、男はまたも不敵に笑った。
「自己紹介なら大歓迎だぜ。ついでに能力紹介もサービスだ。まあ最も、名は体を表すってことで、名前を明かした時点で力の内容も大方想像がつくんだろうが」
 いっそ慇懃無礼であるほどに、格式ばった礼をひとつ。右手を胸元に、左手を背に添えて一歩下がり、お辞儀として上体を倒し、背筋をぴんと伸ばして立つ。
「ベンジャミン・フランクリンだ。エジソン爺さんと組んでた廃電能力者さ。電撃は俺には効かねえぜ」
『――成程。我が力の及ばぬも道理也』
 頷くその瞬間、もはや宣告すらも必要としない熱雷撃が迸る。光速の雷撃が衝撃波を生み、轟音が空気を叩く瞬間すらも雷にとっては彼方の遅さ。世界最速の一撃をしかし、フランクリンは顔色一つ変えずに無傷で受け止めた。
「おーおー、マクスウェルの奴も驚くな。これが雷電王の通常出力だっていうんだから、他の魔人の面目丸潰れだ」
『――何故』
「知ってるかって? 第二公理は秘匿事項。第九席のそれも例外ではないと、そういう話だからな。気になるか」
『然り』
 そう言った瞬間にすらも雷は放たれる。空間に飽和する電子の奔流は、塔上を埋め尽くし過放電として周囲の曇雲に四散する。
「そりゃあ簡単な話さ。この身で受けてきたからな」
『――――――』
 言葉を受けて、テスラの纏う空気の質が僅かに変化する。
「おお、気付いたか。まあそうなるだろうな。奴の第二公理を見た俺が生きてここにいるということは、そういうことだ」
 歯を剥き出した攻撃的な笑み。
「マクスウェルは死んだよ。――塔の門番はもういない」
『為らば――!』
 叫ぶテスラの右腕に、陽炎にも似た揺らぎが宿る。
 雷の収束。
 火の拘束。
 究極的に電磁波として結束。
 火と雷が同値であるならば、それはどちらの姿を取るのか。
『慙愧は想うに能わず。慟哭は叫ぶに能わず。其即ち人に在り』
 純粋にエネルギーの束として、光の槍が完成する。
『我は雷(いかづち)也。同胞(はらから)の遺志は只継ぐのみ』
 電流も炎も、所詮は同じものの表出だ。ならばその根底を突き詰めるならば、自ずから同じ場所に辿り着く。
『雷とは即ち火の転化。去れど廃電は廃火に非ず』
 それは圧縮されたプラズマだ。太陽の炎を模した光槍。さながらプロメテウスの似姿、すべてを焼き尽くす叡智の火。
『導き手の御業に依りて沈め』
 重々しい言葉の響きとは裏腹に、一撃に要する動作はただ、右腕を上げて指し示すのみ。
 そして魔人の手に握られるは、六〇〇〇度に届く熱塊だ。
「おおっと、コイツはやばいかな」
 たらりと汗を一筋垂らすフランクリンは、それでも不敵に踏みとどまる。恐怖に僅かに顔を引きつらせ、それでも前を向く彼は、帽子が飛ばぬよう片手で押さえて、
「だけどこういう時にはな、助っ人を呼ぶって相場が決まっているんだぜ。――なあ、そうだろう!?」
 叫ぶ声の音波すら掻き消されるプラズマの暴威。あの方より直接伝授された、恒星に至る力の一片。太陽お表面温度に匹敵する一撃が、地上に存在するあらゆるものを気体にせしめるはずの熱量の暴力。速やかな破壊を与えるべく、テスラは一歩を踏み出して、

「――《衝迫勁》」

 熱に歪んだ大気の渦が、その声をテスラに届かせない。
 ただ衝撃だけが侵徹する。
『…………!?』
 一撃ではなかった。
 それどころか打撃ですらなかった。
 それはもはや連撃だ。一撃が通るうちに第二の、第三の衝撃がテスラの身体を浮かせてゆく。磁力を操り肉体を塔に繋ぎ留める、そのうちにも速度を増した衝撃が届く。
 テスラにはそれが理解できない。
 己は雷なのだ。比喩ではない。己が第二公理が、彼をヒトではないものにした。既にその身は半ば現象に等しいのだ。それに打撃が徹(とお)るのでは、まったく道理に合わぬではないか。
 ただそのことに驚愕するテスラは、ふとスーツ姿の男を見る。
 廃電能力者。己の天敵ともいえる存在。
 炎に耐性がない以上、決して倒せぬ相手ではない。
 しかし――もしもその存在が、その能力を常に己を弱体とせしめるために用いていたならば。背後の凧の正体とは、あるいは――
「都市インフラに偏在してるアンタを本当に殺すのは、少しばかり骨が折れるようだからな。都市の送電システムすべてを潰すのはあまりに非効率だ――だから」
 フランクリンの言に被せるように、連撃の精度が上がってゆく。全身に渡っていた衝撃の着弾点が、次第に胸元へ収束していく。左胸の奥、心臓の一点、かつては血の通っていた場所、今は電子の渦と化した場所へ。
「暫くの間は眠っていてもらうぜ。この塔は俺の《廃伝雷電》が掌握した。アンタの雷化は偏在している自分自身の濃度調製――周辺一帯丸ごと送電線を焼き切って放電してやれば弱体化できる。これからは凧に気を付けるこった」
 言うだけ言って、男が身を翻す。
「ああ、最後に一つだけ――その槍、制御できなくなったらどうなるんだ?」
『……………成程、此が狙いであったか』
 得心したと、そう頷くテスラの右腕で。制御を失った六〇〇〇度の光槍が、ゆっくりと膨張を始める。
 すでにフランクリンの姿はない。遥か上空に浮かぶ凧は、よく見れば曇天の元で猛烈な放電を繰り返している。送電線の中を走り回る電子となった己(テスラ)自身が、大気中に逃がされ続けているのだろう。
 己を構成する電子が希薄になってゆく。太陽の熱に全身を焼かれながら、テスラは静かに呟いた。宿敵への決意の証明を。
『――何れまた会い見(まみ)えん。アルフレッド・ノーベル』



 暗渠を抜ける。
 既に時間は夜に近い。大気が重くわだかまっている。月はなく、道すら見えはしない。そも、眼球は、既に使い物にはならない。
 雨が降っていた。熱に爛れた肌に雨粒の温度が心地よい。
 右腕は重く、左腕は既にない。一歩を歩くごとに鋼を打つ音が響き渡る。体が冷えている。これほどに熱いのに、寒さは消えない。
 ふと気づけば、いつの間にやら座り込んで空を見上げている。
 視界の隅で空が光った。我らの塔が無事であれと願った。
 かつての師と仲間たちの声を、最期に聞きたいと祈った。
暗闇が迫ってきた。どこか心地よく、また醒めぬ闇であった。

〈第三話へ続く〉
posted by 新月 朔 at 11:11| Comment(0) | 輝けるプロメテウス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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