2015年11月06日

神と悪魔の運命交差  第八回掲載分 作:誠


 神と悪魔の運命交差
誠  





 鼠色の雲に覆われた空が、その色をさらに重たくしていく。それは、雪に覆われた大地に夜が訪れようとしていることを示していた。人里から遠く離れた雪原に、光を灯す者は誰もいない。やがて現れるはずの月も、雲に覆われて地表を照らすことはないだろう。
 急速に闇に包まれていく極寒の中、貴文とハトシェプストはせっせと雪を集めていた。一見遊んでいるようにしか見えない状況だったが、二人の表情に楽しげな色は全く見られない。貴文は真剣な表情で、ハトシェプストは常の無表情で、周囲の雪を集めて積み重ねていく。雪山の高さは四メートルほどに達している。同じような雪山は周囲にいくつも並んでおり、それらは言うまでもなく、すべて二人が作ったものだった。
「……雪月花って言葉、聞いたことがあるか?」
 そんな中、貴文がポツリと漏らした言葉に、ハトシェプストは作業をする手は止めず視線だけを向けた。
「確か、中国の詩の中の言葉、でしたか。自然の美しいものを指す言葉、だとか」
「よく知っているな。まさか、“昇陽神(ラー)”から教わったのか?」
「あの人がそんなことするわけないです」
 ハトシェプストの即答に、貴文はだよなぁ、と苦い笑みを浮かべた。いつも不機嫌そうに眉根を寄せた、唯我独尊を地で行く『神』。そんな男が少女相手に漢詩について教えているという絵は、なかなか想像できなかった。
「それで、その雪月花がどうかしたのですか?」
「ああ、いやな。俺の知り合いが昔俺に話したことがあるんだ。この三つの中で、一番美しいものは何だと思う、ってな」
 いきなりの昔話に、ハトシェプストはいぶかしく思いながらも続きを黙って促した。作業を始めてからもう何時間経ったのか。その間作業以外に言葉をほとんどかわしていなかったこともあって、ハトシェプストも少し飽きがきていたのだ。
「その人は月が一番美しいと言った。曰く、「手の届かないものこそ真に美しいものなのだ」、だそうだ」
「手が届かない……」
「ああ。雪はいつか溶け、花はいつか散る。その儚さに美を見いだすことは出来るだろう。けれど、その二つは手で触れることができる。できてしまう」
 こんな風にな、と。貴文はまた一塊の雪を手に乗せ、山に投げて重ねた。
「月は違う。どんなに望んでも直接手では触れられない。精々、水面に映るそれを掬い上げることしかできない。儚さの格が違うんだ、ってな」
「儚いから、美しいのですか」
「滅びの美学……とは違うか。風流、あるいは粋、かな? その辺は感覚の問題だから、共感できるかは人それぞれだろうな。……まあ、でも」
 そこで貴文は言葉を切って、視線を眼前にいくつもそびえる雪山に向けた。ハトシェプストも自然と、視線を同じくする。
「とりあえずしばらくは、雪は見たくも触りたくないし、美しいとも思えないだろうな」
 ここ数時間の作業を思い返す。この後に控える戦いのために『魔力』を極力消費しないようにしながらの雪山作りは、はっきり言って苦行だった。
「……それは同感ですが、しかしそうもいっていられません。まだ予定の半分もできていませんし、いつまた奇襲されるかも分からないんですよ?」
 わざとらしくうんざりしたような表情を浮かべる貴文に対して、ハトシェプストは同意を示しつつも現実に目を向けた言葉を発する。今こうしている間にも、雪山の影から恐るべき『悪魔』が襲いかかって来るかもしれない。それは可能性として十分にあり得る事態だと、彼女には思えた。
しかし。
「いや、それはないよ」
 さきほどまでのふざけた様子はどこへ行ったのか。貴文は真面目な様子でそう答えを返した。
「…………なぜ、断言できるのですか」
「いや、お前からウビーチの「気配を感じさせない奇襲」の話を聞いた時はまずいと思ったんだが……もうこの時間になってしまえば、大丈夫だろう」
 貴文の言葉に、ハトシェプストは考えをめぐらせた。そしてすぐに、その言葉の真意を覚る。
「 “黒影女王(チェルノボーグ)”は、夜戦が苦手だと?」
「正確には、不安が残る、程度のものだろうけどな」
 話す二人の周囲は、もうほとんど真っ暗になっていた。普通の人間なら、活動するために明かりを必要とするほどに。それがなくて済んでいるのは二人が人知を超えた『神』だからであり、そして今回はそれがウビーチに夜戦を避けさせる大きな要因になっていた。
「お前の読み通り、『女王の黒庭』が現象としての「影」を必要としているなら、明かり一つない暗闇は最悪の戦場だろうからな」
 廃村でハトシェプストが気付いたこと。それは気付いてしまえば単純に過ぎる話だった。つまり、「影を靄に変えて操る。ならば影をなくしてしまえば、『黒影女王』は使えなくなるのではないか」というものだ。ならば当然、明かり一つない――同時に、影も生まれようがない――場所は、ウビーチにとって死地ともいうべき場所となる。
「ですが、“黒影女王(チェルノボーグ)”が自ら明かりを持ってきたらどうするのです? 雪山は影を作り、『女王の黒庭』が十分に稼働できる場所に転じてしまいますよ」
 続くハトシェプストの疑問も、貴文にとっては予想できたものだった。故に答えも、よどみなく口から放たれた。
「こっちの位置を索敵し、自身の気配を隠蔽しながら接近。そこからの奇襲。能力があったとしても、みんな目立たないようにしながら行うべき作業だ。それと同時に、どうしたって目立ってしまう光源を持ってくる。そんなことできると思うか?」
「……確かに、困難ではあるでしょうね。それに、一世紀を股にかけた稀代の暗殺者なら、自身の危険に敏感なはず……だからこそ、あなたは大丈夫だと、判断したのですね」
 その通りだ、と、貴文は頷いた。
「あいつは今日までの戦いで思い知ったはずだ。標的と闖入者、そのどちらとも侮れない存在だと。その上で殺しに来るんだから、万全の態勢で臨みたいはず。それが一世紀もの間情報を一切漏らさないほどのやつなら、なおさらだろうよ」
 その自信に満ちた声に、ハトシェプストは素直に賞賛の念を覚えた。しかしそれは同時に、今日まで悩みを抱え続け、あげく無様に殺されかけた自分の姿を嫌でも思い返させるものでもあった。
 いつの間にか、貴文は作業に戻っている。なんだかんだと話をしながら自分のやるべきことを行う姿にまた賞賛と羨望と、そして自分への情けなさを感じる。
だからだったのか。また沈黙が場を支配する――そう、貴文が思った矢先、
「……儚いものが美しいのなら」
 いつの間にか、まっすぐに青年の顔を見据えていたハトシェプストは、小さい声で貴文に声をかけていた。
「うん?」
「決して叶わない夢もまた、美しいのでしょうか」
 その問いが、先ほどの雪月花の話から来ているものだと、貴文は少ししてから気づいた。そして、その時にはすでに、少女の口から続きが語られ始めていた。
「その人の身に合わない、大きな望み。大きな夢。どうしても実現しなければならない、でもそれができない夢。それは、その儚さゆえに、せめて美しいとだけは思ってもらえるのでしょうか」
 ハトシェプストの表情は、変わらず無表情のままだ。しかし貴文はそこに、昼間にも感じた決意の重さを再び感じさせられた。そしてそれ以上に、一人の少女の、今にも泣きだしそうな表情も、また。
「……人はついに月に至り、そこに降り立った」
「ガガーリン、ですか」
 しばらくの沈黙ののちに青年の口から出たのは、まるで関係ないような言葉だった。悩める少女は、しかしそこに青年が何か大きな思いを込めていることを感じ取り、耳を傾ける。
「ああ。そこは岩だらけででこぼこした、水も空気もない世界だった。地上から見上げた、あの決して手の届かない月と同じものとは思えないほどの、お世辞にも美しいとは言えない世界だ。
 ――でも、誰もがその光景に胸躍らせた。『神』ですら不可能と言わしめた月に直接触れるなんて、途方もない夢が叶ったこと。そこから新たな夢が膨らんでいくことに、皆歓びを感じたんだ。俺はその映像を見た時思ったよ。叶わない夢はない。そして叶った夢は、叶っただけでも大きな意味があるってな」
 だからさ、と。青年はそれまでハトシェプストに向けていた、人をからかうようなものとは全く違う優しげな笑みを浮かべて、
「お前がどれだけ難しい夢を抱いて、そして思い悩んでいるのか……なんとなくにしかわからない。だが、どれだけ大きな夢だろうと叶わないことなんてない。だから、それが美しく感じられるか、なんてことを考える必要はないし、その考えは単なる逃避にしかならないと俺は思う」
 そう、答えた。
「逃げては、だめ」
 その言葉を聞いたハトシェプストの脳裏を、もう何度目になるのか、クズネツォフの言葉がよぎる。
「でも、“創剣神(スヴァローグ)”は逃げることも必要だと――」
 思わず、といった様子でハトシェプストの口から出た言葉に、貴文は今度は黙って首を横に振った。
「それは、あの人の言葉だから俺には何も言えないよ。お前が自分で考えて答えを出すべきだ。例えそうやって悩んでいるうちに、殺されかけたとしても、な」
「最後の言葉は余計です」
 結局最後には、この短い間に何度も見た意地の悪い笑みに、貴文の表情は戻っていた。ハトシェプストは、そこで初めてその表情に安心感を覚えていることを自覚した。
 そして同時に、彼はどうなのだろうとも、考える。
(――貴方は、どうなのですか、“狐神”)
 こうして出会ったばかりの相手の思いを慮り、共に戦おうとする頼もしさ。一方で、その裏には確かに大きな怯えを抱いている。矛盾する二つの感情がこの『神』の中でいかに同居しているのか。あるいは。
(もしかして、貴方も私と同じなのではないですか?)
 ハトシェプストは思う。先ほど自分に向けられた言葉。そこに込められた思いは、語った貴文自身にも向けられていたのではないのか、と。彼も同じく、大きな矛盾の中で思い悩んでいるのではないかと――
 思いは語られることなく、夜はついに訪れる。


 影がある一点から動くことがない。
 『女王の黒庭』の気配探知能力によって『神』の動きを逐一追っていたウビーチは、その事実に少し驚いていた。
「てっきり、ニげをウつとオモっていたんだけどなぁぁ」
 どこともしれぬ闇の中で、つぶやく。ウビーチにしてみれば、傷を負い消耗した『神』が――しかも明らかに本調子ではない者も交じって――いる場合、とりあえず逃げていくというのが当然の選択だと思われた。が、結果は逆。二柱の神は一地点にとどまり、おそらくはウビーチを迎え撃とうとしているのだろう。
「ニげマワってくれたホウが、やりやすかったんだけどなぁぁ。しょうがないかぁぁ」
 どうやら混乱状態から立ち直ったらしい『神』々を思い、ウビーチは危機感を募らせる。先日体験した“誠慈神(イシス)”の能力、そして昼間戦った“狐神”を名乗る『神』。どちらも一筋縄ではいかない相手であり、この二十年で直接相対した中では、最も厄介な存在だといえた。
(でも、コロす)
 それは言葉にするまでもない決定事項だった。そもそも仕事を請け負った時点で、逃すことなど論外。なぜだかは知らないが能力などの正体を知られた時点で、存在を許す可能性は絶無。ウビーチは全力を以て、あの『神』々を殺すことだけに思考を集中させていく。
「いつもドオりタタカってぇぇ、いつもドオりしとめるぅぅ。カンタンなことだねぇぇ」
 影まとう女王は、日の光が大地を照らすまでを、闇の中に潜んで待つ。


 『神』と『悪魔』、それぞれがそれぞれを斃す(たおす)べく、闇の中で策謀をめぐらす。二柱の『神』は互いに、心中で懊悩しつつも眼前の敵に向かおうとする。影の『悪魔』は自身の決定を事実にすべく、その爪を研ぐ。
 そしてまた、日は昇る。

続く





posted by 新月 朔 at 22:37| Comment(0) | はじめに | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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